断腸亭料理日記2005

箱根・塔ノ沢・福住楼 2005 その3

さて、ひきつづいて、箱根・塔ノ沢の福住楼。

昨日は、温泉と、食い物のことなど。
今日は、建物のこと。

最初にも書いたが、ここ福住楼は、
全館が、国の有形文化財に指定されている。

創業は明治23年。
建物は、この時代から、昭和初期までに建てられたものらしい。

神奈川県作っているの文化財情報のページによると、


玄関棟とその奥の棟は前身の「玉之湯旅館」時代の
木骨石造建築を改造したもの。
西方に浴室棟や部屋ごとに意匠を変えた客室棟,
質の高い書院造りの広間などを連ねる。

と、いうことである。

ここにもあるが、福住楼のすばらしさは、
部屋ごとに、趣をかえてある、と、いうことである。

筆者らが今回泊まった、桜の四という部屋の主室は
天井は竹を井桁に組み風雅な感じ。
案内によると、田舎の民家の天井を、使っている、と、いう。


欄間は菊の彫刻。これはところどころ、破損してしまっているが
黒光りをしている。

また、縁側に面した障子の意匠もなかなか、凝っている。
障子の中に、ガラスがはめられ、それがさらに、
障子で開け閉めできるようになっている。
また、障子下部の、意匠も単なる格子、ではなく、
ちょっと、モダンな香りもする。


こうした、天井、欄間、障子や襖が、
各部屋すべて違っているのである。

全室違っていても、
一回泊まっただけでは関係ないように思われるが、
そんなことはない。
それだけ、一部屋一部屋、趣向を考え、丹念に工夫を凝らして、
作られている、と、いうことなのである。

そして、これは、廊下の壁、明かり取りの障子の形、
便所の戸や中の意匠に至るまで、
ありとあらゆるところが、そんじょそこらの、
よくあるデザイン、では、ない、のである。

そしてそのデザインも豪華、というのではなく、
押し付けがましくなく、さりげなく、粋で、
今、見てもセンスがよく、お洒落。

過去、福沢諭吉からはじまり、夏目漱石、幸田露伴、
吉川英治、川端康成、などなどの作家、
あるいは、坂東妻三郎、三遊亭歌笑などの芸能関係者などにも
愛されてきたのは、このあたりではなかろうかと思う。

むろんのこと、今は、新しくはないし、先の欄間のように、
ところどころ破損しているようなものも、ある。
しかし、あたりまえであるが、汚いわけではない。
磨きこまれている。

見ていて飽きない。
こうした意匠に囲まれていると、夜などは、特に、落ち着く。
この頃の日本人の持っていた豊かさに文字通り包まれ、
風呂に入ったとき同様に、手足を思い切り伸ばし、
心底、癒される、ように感じる。

すばらしい。

今、このような建築を建てられるのであろうか。
職人をかき集め、できるのかも知れぬが、莫大な
金額がかかろう。
やはり、希少、だと思われる。

そしてなによりも、単なる見るだけの文化財ではない、
そのなかでの豊かな時間は、無形の文化財、で、ある。

さて、帰りは、日曜日。

特に、箱根観光することもなく、
西湘バイパスから海沿いに、江ノ島、鎌倉、
逗子、葉山、三崎を廻り、横須賀から、
横横、首都高湾岸線経由で、帰宅。
屋根は、横須賀まで、開けていたが、横須賀からの高速では、
寒さもあるが、ヒーターの温風を顔にまともに浴びる
乾燥にも耐え切れず、閉めて帰った。

途中、三浦半島の相模湾側、タコで有名な、佐島(横須賀市)、
同じく三浦半島の突端、鯖で有名な、松輪(三浦市)を通った。
合羽橋・太助や、天神下・一心で、
名前だけはよく聞いていた地名であるが、
こんなところにあったのか、という実感を得ることができた。

今年は四二歳の後厄。
様々なことがあった、2005年であったが、
福住楼のおかげで、豊かな年の瀬、を迎えることができた。
感謝、で、ある。



福住楼



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