断腸亭料理日記2006

そば・さらしな總本店・

中野南口店

9月5日(火)昼

相続の関係で、元の戸籍謄本が必要になり
中野区役所へいかなければならなかった。

元の戸籍、というのは、「改正元戸籍」(カイセイゲンコセキ)という。
結婚などで戸籍を新しく作って父母兄弟の戸籍から出た場合にも
父母との関係を証明するために、出る前の戸籍の謄本が
必要になるものである。

戸籍というものは死んでしまった場合も、戸籍をかえた場合も、
記録としては、すべての異動が、明治初期に戸籍が作られたときから、
市区町村には、すべてのものが残っている。

あたりまえのことであるが、改めて考えると、これは、すごいことである。
今は、この昔の戸籍も電子化しつつあるらしいが、明治以来、手書きのものを、
すべて紙で保存していた。東京であれば震災も戦災もあったであろうし、、。

ともあれ、まあ、こんなことは、
相続のようなことをやったことのある方であればご存知のことではあろう。
父母、祖父祖母、曽祖父曾祖母と、
戸籍がある限り、さかのぼって調べることができるのではある。

筆者の父母の戸籍が中野区にあるのは、父母が結婚して初めて住んだのが
中野区であった、という程度の理由である。

昼休み、中野まで出かける。
中野で昼飯を食うとすると、なにがよいのであろうか。
高校が中野富士見町であった関係で、中野はそこそこ土地勘はあり、
住んでいる友人もあるので、呑みやであれば、そこそこ、で、あるが
昼の食い物やとなると、あまり詳しくはない。

風邪もまだ治っておらず、さっぱりしたものがよい。
ちょっと調べて、蕎麦屋。

さらしら總本店、というのにぶちあたった。
ここは北口と南口に一軒ずつある。
調べてから思い出したが、北口の店には一度入ったことがあった。

区役所は駅前、サンンプラザの隣。
北口店は少し奥まったところにあるため、南口店にいくことにする。

東西線神楽坂駅から中野まで。

中野駅南口ロータリーから向かって、左手奥の路地を入ってすぐ右側。

ちょっと「民芸風」な造りである。

余談だが、今でも民芸風、民芸風というが、そもそも、
「民芸」とは、なんであろうか。

戦後、昭和30〜40年代あたりなのであろうか、
「民芸風」は、まあ、当時の流行、といってもよかろう。

もともとは、「民芸運動」という、柳宗悦(やなぎむねよし)などによって
始められた運動で、「無名の工人の生み出す日常的で健康な美に目を向け、
日本の文化的価値を見直す中で、、、」と、いうように語られる運動。

広くいうと、民衆の中での表現活動、宇野重吉らの劇団「民芸」、
あの豪快な版画で、誰でも一度は見たことがあろうが、棟方志功なども
こうした流れの中にある。
それが戦後すぐの思想、世相を背景に一般にも広がり
「民芸風」ということになっていった。そんなところであろう。

今のロハスやアジアン家具の流行、のようなものかもしれない。
(そんなものと、「民芸運動」を一緒にするな!」、と、
怒られるかも知れぬが、、。)

ともあれ、インテリアの「民芸風」は、いわゆる正当の「和風」ではなく、
「田舎風」というのか、古民具などを飾ったりする、あれ、である。

さて、さらしな總本店中野南口店、で、ある。

漢字で、更科、と、書くと「麻布永坂更科布屋太兵衛 更科そば」になる。
ひらがなで、さらしな、と、書くと、こちら。

こちら、ひらがなの、さらしなは、トップページ(下記)によると、
初代新島繁氏が戦後間もない『昭和23年(1948年)に新宿駅西口の
現在の小田急デパートの場所で「郷土そば・さらしな」を開店』された、
と、いう。
その後、『中野等にも出店』とある。
現在は、新宿のその店はないようなので、その中野店が、今の
北口店か、南口店の前身になるものなのであろう。
(そういう意味で、わかりにくいが、本店、というのは、今はなく、
中野店に引継がれていると、いうことかも知れない。)

歌人の斉藤茂吉が晩年、その新宿の店でモリ50円を食べ、
店先の水で、入れ歯を洗い、道行く人に、じろじろ見られた。
などと、子息である北杜夫氏が「茂吉晩年」(岩波現代文庫)の中で
書かれている、と、いう。

この初代新島氏は蕎麦研究家としても知られ、蕎麦に関する
著作もいくつかあるという。
また、司馬遼太郎は「街道をゆく」の中で、
新島氏のそうした蕎麦研究について
「良き江戸時代の末裔といっていい」と評しているという。

さて、店内に入ると、一階はテーブル四つほどと、カウンター。
座敷の二階もあるようだ。

カウンターに案内される。
微熱があるが、上着を着て暑い中を歩いてくると
やはり、ドッと、汗が出る。

手拭で、汗を拭き拭きメニューを見る。

生粉打(きこう)ちの田舎、二八、月変わり(9月は菊切り)など
そばは常に、5種類を用意しているという。
(これは、一軒の店で用意する数としては、多い、といえよう。
このあたりが、研究家の初代の血を引くという所以(ゆえん)か。)

ごまだれ、を大盛で頼む。
「氷に載せますか?」と、聞かれた。
そばを氷に載せる、というのはあまり聞いたことがないが、
いわれるまま、頼んでみる。

ごまだれ、というのは、あまりないメニューであるが、
思い出す限りでは、吾妻橋の藪蕎麦にあったと思う。

さっぱりと食いたいが、ちょっと変化球もほしい、、
そんな頭の働きで、これに決めたのである。

なるほど、涼しげに氷に載り、青い楓(かえで)の葉があしらわれている。
ごまだれには、薄切りのきゅうりが、入っている。
なにか、前にやった冷汁(ひやじる)を思い出す。

そばは、これは、田舎、なのであろう。
比較的太打ちで、しっかりしている。

ごまだれの味は、なにか、想像通りの味、というとへんであるが、
ごまだれらしく、こってりしているが、くど過ぎはぜず、
バランスがとれ、甘辛の加減も比較的濃い目で、うまい。

そばを平らげ、そば湯で割って、つゆも全部飲む。

お勘定¥1100。

中野区役所へいき、目的のものを取得し、汗を拭き拭き、帰社する。


さらしな總本店HP




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