断腸亭料理日記2007

鳥越祭2007・壱「おみこし通りますので・・」


6月9日(土)

鳥越祭、で、ある。

この土日は、拙亭のある、界隈のお祭。


時期は、毎年、梅雨入り直前のこの時期。
神田祭、三社祭、などなど付近の夏祭りの中でも
毎年最後に行われている。

鳥越神社は、東京都台東区鳥越。
浅草橋の北、蔵前の西、雷門や六区などがある浅草中心部の南。

その神社の、例大祭、で、ある。

浅草神社、三社様の、三社祭はあまりにも有名であるが、
鳥越神社は、三社様の南隣になり、日曜日に
渡御する、本社神輿と呼ばれる神社の神輿は、
千貫神輿(せんがんみこし)などと呼ばれ
都内でも随一の大きさである。

氏子町内は、浅草橋の北側から浅草通りを越えたあたりまで、
全部で二十二町会。

鳥越神社

町会名を列挙してみる。

宮元、東三筋、三桂、三筋南、小島二東、三筋北、栄久、阿部川、菊屋橋、
北松山、南松山、永住、七軒町、小島二西、小島一、鳥一、二長町、柳北、
浅四、柳二、浅三。

この町会は台東区のほとんどの町会と同様に、基本的には、
今の町ではなく、旧町、で、ある。

神輿は、先に述べた、本社神輿の他に、
各町内に町内の神輿がある。

毎年、土曜日は町内神輿の連合渡御。
日曜日が本社神輿を二十二の町会が、受け継いで担ぐ。

大きな予定はそういうことなのであるが、
それ以外にも土曜日、日曜日、町内では、子供神輿やら、
子供が引張る太鼓やらが出たり、神酒所(みきしょ)のそばで
町内会で、おでんやら、焼きそばやらを出したりする。

土曜日。
その連合渡御は5:30集合。

どうもお祭だと、なんとなく落着かない。
昼過ぎ、残っていた、モツの煮込みに、
シシトウの揚げ浸しなぞを、作って、呑み、転寝(うたたね)。


5時過ぎ、内儀(かみ)さんとともに、
町内の半纏(はんてん)を引っ掛けて、出る。
(全国的には、お祭りに着る、この上っ張りのことは、
法被(はっぴ)という地域が多いと思われる。
しかし、東京では、半纏、と呼ぶのが普通である。
もともと、半纏は職人や商人が着る上っ張りのこと
であるが、東京では、理由はわからぬが、昔から、
祭りに着るこれも、法被ではなく、半纏と呼ぶ。)


これは町内の神酒所の前。担ぐ前の町内神輿。
“馬”と呼ばれる台に載せられている。

青い長めの半纏を着ているのは、担当の鳶の方。
神輿が出ると、この台、で、ある、馬、をリヤカーに
載せて、運ぶ。

鳥越祭の運営は、町内会内の組織、睦(むつみ)というのが行う。

神輿の指揮は、その睦の代表が行う。

担ぎ始め。神輿の前に台を置き、代表が立つ。

担ぎ手は、皆、町内揃いの半纏を着ている。
これを着ていなければ、基本的には、担いではいけない、
ということになっている。

上の写真の左端にも鳶の方が写っている。
半纏の背中には、「わ」の文字が見える。
わ組、で、ある。

東京消防庁、消防博物館のページ

町火消纏(まとい)装束之図、の、わ組、のものである。
今のお祭の裏方として活躍されている鳶は、
元をたどれば、由緒正しい、江戸町火消し、で、ある。

「いろは四十八組」などといわれるが、江戸町火消しは、
一番組から、十番組、その下に、い、ろ、は、の各組。
これに深川本所組、十六組を入れ、全部で64組、
総員一万人以上の火消人足がいた、と、いう。

わ組は、八番組に属し、上の史料によれば、
湯島天神下から下谷が受け持ちの区域で、
文字通り、このあたりが受け持ちであったことがわかる。

ともあれ、神輿の担ぎ出し。
睦の代表は台の上に上がり、ひと言、あいさつと注意などする。
そして、

「よぉー。シャ、シャ、シャン。シャ、シャ、シャン。

シャ、シャ、シャン。シャン。」

と、三本の手締め。
代表は拍子木を持っており、これで、「カン、カン」、と二回。
と、担ぎ手は、肩を入れ、神輿が上がり、
渡御がはじまる。

この神輿が出る時、本社神輿の渡御の時など、
人が多く、混雑をしている場合には、いきなり神輿が前に出る
ことがあり、神輿の前にいる代表は、あぶない。
このため、代表のすぐ後ろに人がおり、代表の帯を持っている。
そして、拍子木の「カン、カン」が終わるとすぐに、
後ろに帯を引っ張り、代表を仰向けに倒し、受け止める。

この神輿が出るとき、というのは見ている方も緊張するし、
一つの見所、でも、ある。

担ぎはじめた、町内神輿は、北部八ケ町連合渡御に参加するために
あらかじめ決められた場所(路地)へ向かう。

神輿は、鳶の方二人が持つ、町の名前の入った高張提灯を先頭に、
御幣(ごへい。白木の棒に白い紙のヒラヒラが付いたもの。)。
これは、鳥越祭では、やはり、町の睦の役員さんが振る。

北部八ケ町とは、鳥越神社の氏子町内の文字通り、北部。
春日通りの北側の、三筋北、栄久、阿部川、菊屋橋、北松山、
南松山、永住、七軒町、で、ある。

八ケ町、八基の神輿がたいして広くもない路地に一列に並ぶ。

そして、各町の高張提灯が集まり、手締め。

ここから、八基揃って、町内を渡御する。
暗くなってくると、すべての神輿に提灯が付けられ、
火が入る。

浅草通りを渡り、北端の北松山町まできて、
再度、集まって、手締め。

ここから、各神輿はユーターンをし、浅草通りを
渡り返し、それぞれの町に戻る。

解散は、9時頃。

なかなか、ハード。


筆者などマンション住まいで、昼間居るわけでもなく、
町会費は出していても、町内会活動に参加していない。
それでも年一回の、自分の住む町の揃いの半纏を着てのお祭は、
よいもので、ある。



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