断腸亭料理日記2007

浅草寺・放生会(平成19年春)

3月21日(水)春分の日

昨秋に引続いて、ご招待を受けていた、
東京都鰻蒲焼商組合さんの浅草寺での春の放生会。

(そもそも、放生会(ほうじょうえ)とはなにか、など
ご存じない方は、まずは、昨秋をご参照願いたい。)

秋同様、ご近所のうなぎ屋さん、
小島町の「やしま」のご主人のはからいである。

10時前、拙亭を出て、歩いて、浅草寺、淡島様のお堂へ向かう。

田原町の交差点を渡り、ROXのあたりで中へ入り、
大衆演劇の木馬館の前を通る。
朝、こんな時間から、たいそうな列ができている。
さすが、大衆演劇である。熱心なファンのおば様方がいらっしゃる。



淡島様のお堂に着いて、受付をしていらっしゃる、やしまのご主人に
ご挨拶をする。

10:30からであるのだが、ちょっと早かった。
少し、その辺を、ぶらぶら。

戻ってくると、ご住職の予定がずれ込み、
11時頃からに、なるという。
さらに、ぶらぶら。

今まで、あまり気に留めていなかったが、この淡島様の
南あたりに、様々な記念碑が建てられている場所があった。

喜劇人の碑、映画弁士塚、芭蕉などの句碑、瓜生岩子の銅像等々、、

11時、ご住職を先頭に、お坊様方が列を作って静々とみえられ、
放生会のお経が始まる。

このお経、ちゃんと、この鰻の放生会のための
オリジナルなのである。なんというのであろうか、
テキストというのか、お経の本というのか、
細長いタンザク形で、パタパタと蛇腹折(じゃばらおり)
になっている本で、だれでもご覧になったことはあるであろう、
あれ、で、ある。それが放生会専用のものなのである。
東京都鰻蒲焼商組合の名前が入っているので、ご寄進されたものであろう。

したがって、唱える内容も言葉も、放生会専用のもの。
(内容は、筆者などにはよくわからないが、ご成仏下さい、という
ようなものであろうか。)

お経が終わると、三々五々、外へ出て、
お堂前に並べられた、うなぎ(と泥鰌)の入った、
桶をめいめい両手に持って、列をなして、伝法院様の、庭へ向かう。

日が昇り、今日は、だいぶ暖かくなってきた。
厚いコートを着てきてしまったが、これでは暑いくらいである。

仁王門が工事中の関係で、そこは通らず、浅草寺寺務所から、入っていく。
昨年は通らなかった、はじめて見る庭を通る。
横幅1mほどはあるであろうか、巨大な鬼瓦が庭に据えてある。
戦災で焼けたときの本堂か、五重塔のものであろうか。

「伝法院」という額のかかった、文字通り伝法院様の本堂というのか
本坊というのか、で、あろうか、
その前を通り、池のある庭へ向かう。

(向こう側に見えるのが本坊の屋根)

昨年は知識がなかったが、これら、伝法院様の建物は
戦災などでも焼けておらず、江戸のものらしい。
(安永6年1777年、江戸中期(1786年が田沼意次の失脚、で、
あるから、まさにこの頃は田沼時代、で、ある。)
という。しかし、確かな資料にあたっていないので
明確なところは、筆者としては不詳という段階。)

確かに、見た目ではやはり、古そうな印象である。
建物自体も、一つではなく、母屋である本坊以外にも
池のある庭に面した建物やら、茶室まであるようである。

  (右側が本坊)

庭に着き、昨年同様、ご住職が読経される中、
手桶から、うなぎと泥鰌を、池に放して、終了。


  


庭には、ちらほら、咲き始めた、しだれ桜などもあり、
満開になれば、さぞかし、みごとなのであろうと想像する。

これだけみごとな、庭と建物が一般に公開されていない、
というのは、もったいないようにも思われるが、
「やしま」のご主人もおっしゃっていたが、公開されていないからこそ
よい、ということもあるかもしれない。
放生会にご招待されなければ、ここへ入ることもできぬし、
むろん見ることもできない。
また、こうして、ただ見にきているだけではなく、
浅草寺の行事でもあり、東京のうなぎ屋さんの
伝統ある行事でもある「放生会」参加させていただける、
ことが、特別な経験であり、ちょっと、偉くなったような、
(と、いうと妙な言い方だが)そんな気分にもなるのである。

静かな伝法院様の通用口から、伝法院通りに出ると、
浅草のいつもの観光客の喧騒である。

昼近くなった。
なにか食べよう。

そば、か、やはり。

お寺つながり、と、いうのでもないが、
長浦。

寿司屋通りの路地であるから、ここからはすぐである。

寺方蕎麦長浦。

なぜか、ここへくるといつも、とろろ、なのであるが、
今日は、ちょっと変わったのにしてみようと思い、
妙興寺そば、というもの。


ちょっと、見た目にはわかりずらいが、
大根を、刺身のツマのように、細く切ったものが
茹でたそばに、混じっている。

そして、つゆがまた、かわっている。
お姐さんの説明では、納豆としょうゆの中間のような、、
と、いっていた。

食べてみると、そばに大根のシャキシャキした食感が
加わり、なかなか、おもしろい。
そして、つゆは、確かに、しょうゆ、とはまた違う
納豆に近いような、別の発酵した味がする。
どのように作ったものなのであろうか、
知識もなく、まったくわからない。

ちょっと、おもしろいものを食べた。

よくよく、ここのメニューをみていると、
「そば雲水」など、他にもまだまだ、おもしろそうなものもある。
今まで、まったくの、ただのそば屋にしてしまっていたが、
もったいなかった。また今度、で、ある。

さて、天気もよい。一回りをして帰ろう。


※御礼
二度にわたって、ご招待下さいました、
小島町「やしま」のご主人はじめ、雷門「初小川」のご主人、他、
東京都鰻蒲焼商組合の皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございました。

断腸亭錠志



寺方蕎麦長浦




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