断腸亭料理日記2007

藤沢周平作品と、出羽庄内のこと。

今日は、食い物の話ではなく、少し、コラム、の、ようなもの。

最近、藤沢周平はブームなのであろうか。
テレビでよく見るのである。
NHKと、CSの時代劇専門チャンネル。
再放送なのだが、清左衛門残日録、蝉時雨、
腕におぼえあり、NHKBSの、私の藤沢周平、、。

前にどこかに書いていると思うが、
筆者、時代小説、歴史小説は、池波先生の作品以外は
ほとんど読まない。
藤沢周平に限らず、大御所・司馬遼太郎、山本周五郎、
吉川英治、、、。
読んだ経験が皆無、かといわれれば、そうではない。
司馬遼太郎などもあまりにも有名であり、なん冊かは読んでもいる。
しかし、夢中にはなれない、のである。

唯一例外は、岡本綺堂『半七捕物帳』であろうか。
これは、全巻読んでいる。
(ちなみに、岡本綺堂は東京の人である。)
そして、最近読んだ、勝海舟の子母澤寛。

まあ、かなり偏った読み方であろう。
(その代わり、池波先生の作品は、小説、エッセイと問わず、
少なくとも、全作品3回以上は読んでいる自信はある。
鬼平、剣客、梅安は、全巻通して、それぞれ5回以上はかたかろう。)

なぜ池波先生なのか、と、いえば、これもなん度か書いているが
先生が東京生まれだから、で、ある。

私が池波作品を読むことは、自分自身の故郷を訪ねる作業、だからである。

従って、東京生まれでない時代小説家の先生では、だめ、なのである。
と、いうのが、一応、筆者の池波信者としての公式見解、であった。

しかしまあ、それはそれとして、テレビドラマでなん度も見ている
藤沢周平をちゃんと読んでみようか、と、思い立ったのである。
(勝海舟を知るために、子母澤寛を読んだ、というのもあったが。)

池波先生が江戸。

時代小説といものは、作家にもよるのかもしれないが、
その作品の舞台になっている土地と作者は切っても切れない
と、いうことが多いのであろうか。

藤沢周平作品は、有名な海坂藩こと、庄内。
庄内という実名は登場させていないが、ファンの
言葉を聞くと、皆、キワードは、庄内、という。
庄内とは、山形県の日本海側、庄内平野、城下町は鶴岡市、で、ある。

蝉時雨も、清左衛門残日録もその舞台の背景は
広い田んぼの広がった、庄内平野と庄内の町以外には
考えられない、ともいう。

池波先生とまったく場所は違うが、同じように
故郷を書く、ということにその創作の方向がある。

読者も、今はやりの里山、というのか、、
山があって田んぼや畑があって、村があり、
城下町がある、、、。
そんなものが日本人の多くの原風景、であり、
それが共感を呼ぶ、と、いうことなのかもしれない。

(ちなみに、筆者は、そういったものに、まったく共感を覚えないわけではない。
しかし、それよりも、ごみごみした街や町、そこに棲む人々、小体な料理屋、
無口な親爺が一人でやっている芋酒や、そして、様々な、
江戸東京人が食べていた魚や野菜の方に、より興味があるのである。)

そして、もう一つ。
庄内の山や川ではなく、庄内藩というもの。

やはり、多くの作品が、海坂藩という名前を借りて、
庄内藩を舞台にしているようである。
(なぜ実名を出していないのか、という疑問もある。
池波作品では、架空の藩の名前、というのは皆無ではなかろうか。
実際の内容はフィクションであっても。)

出羽庄内十四万石。
殿様は、徳川譜代の名門、酒井左衛門尉家。
(偶然だが、筆者の住む元浅草を南北に貫く、左衛門橋通りは
今の浅草橋神田川そばに、酒井左衛門尉家の下屋敷があったことに
由来するのでなんとなく、親近感がある。)

詳しくは調べたわけではないのだが、殿様は幕閣の中枢にあり、権力もある、
というような、藩としての地位。その名門の家だからこそ、国元や、家中では、
想像するに、作品に登場するようなお家騒動、家臣たちの
権力闘争のようなものも少なからずあったのであろう。

また、庄内というところは、冬は雪に閉ざされるが、広い庄内平野は
米もよくとれ、また、酒田は上方と蝦夷をつなぐ北前船の寄港地でもあり、
庄内藩は表高の十四万石以上に豊かでもあったようである。
つまり、藩の実力は、譜代の名門という名前だけでなく、
実際の資金の裏付けもあったのであろう。

こんなことで、藤沢作品は出羽庄内の自然と土地柄、人々、
そして、庄内藩酒井左衛門尉家に多くを取材して
成立しているのであろう。

(と、ここまで背景を、考えてみて、やっと、藤沢作品が
筆者には、腑に落ちた、のであった。)

ついでに、庄内藩について、もう一つ。
幕末のこと。

同じ奥州でも新撰組や、白虎隊の会津藩はあまりにも有名である。
しかし、庄内藩。
全国的にはあまり知られていないが、幕末にも活躍している。

筆者も、子母澤寛の勝海舟を読んで知ったようなわけであるが、
幕末、江戸市中の治安を預かった、新徴組という、京の新撰組に
あたるような組織が江戸にもあった。実はこれが庄内藩の担当であったよう
なのである。つまり江戸とも庄内藩は、因縁浅からぬものがあった、
ようなのである。
また、戊辰戦争時には、庄内藩は会津藩と並んで
ご存知の奥羽列藩同盟の中心的存在であった。


ともあれ。

藤沢作品で垣間見た出羽庄内、なかなか興味深いところのようである。




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