断腸亭料理日記2008

尾花の時間

もう、先々週のことになるが、南千住、小塚原のうなぎや、
尾花へいったことを書いた。

ここで、私は『この尾花の入れ込みの座敷に胡坐をかいて、
鯉の洗いをつまみに、ビールを呑みながら、
うな重を待っている時間も、尾花のうなぎ、なのである。』
ということを書いている。

その後、番組名は忘れたのだが、NHKの世界遺産を
扱った番組をみていると、ベネチアのところであったが、
アコーディオン奏者のcobaさんが、ベネチアというのは
人間のリズムがゆっくりしている、人間らしいリズムである、
というようなことを話されたいた。
なんでも、氏は、いつもベネチアに行くときには、
空港に降り立ち、舟で、入られるらしい。
この舟に乗っている過程で、段々にベネチアの街のリズムになっていく、
と、いう。
これが、よい、と。

これをみていて、は、はぁー、なるほど、と、
思わず、小膝を打った。

私が尾花で感じていたものも、これであったのだ、と。

毎日、様々なものに追われて、過ごしている。
多忙などというが、文字通り、心を亡くしているのだろう。

おそらく、現代に生きる人々は、多かれ少なかれ、
皆そうだと思う。

そして、これは、人間本来のリズムではない。
毎日、様々なものをすり減らしている。
知らず知らずにいろんなところで、
いろんな無理をしているのだろう。

これに対して、尾花には、昔の、人間の時間が流れている。
そいうことではないだろうか。
だから、寛げる。

落語でも描かれているが、いつ頃までそうであったのかは、
私自身は今、情報を持っていないが、
うなぎやというのは、客は、店にくるとまず、
店先のいけすに泳いでいる、鰻を見て、これを割いてくれ、
と、選ぶ。そして、そこから職人が、割いて、焼いて、
蒸して、また焼いて、と、いうやり方であった。
従って、小1時間かかる。

これを今でも続けている東京のうなぎやは、
私が知っている範囲では、この尾花と、明神下神田川。
(むろん、今、どちらも客に鰻を選ばせてはいないが)

神田川の座敷についている、押し入れには、
客が時間をつぶすための、碁盤と将棋盤が入っている。

今、拵えてある蒲焼と、客がきてから調理を始めるのと、
どちらの蒲焼がうまいのか、という話をしているのではない。

こういう時間がもっとあってもよいのではないか、
ということなのである。
こういうことが本当の豊かさなのではないか。

人間が、本来、人間らしく暮らしていた頃の時間の流れ。
(これが文字通り、スローライフ、であろう。)

そういう意味で、尾花の時間は、とてもわかりやすい形で、
現代人がなくしている時間を提供している。

しかし、一方で、じゃあ、すべて、今の電気や、ガス、水道、
そして、インターネットのある生活を捨てて、江戸の頃に戻れるか?
といわれれば、いくらなんでも、それは無理である。
様々なものが便利になって、得たものは計り知れない。
病気が少なくなったり、
飢えや寒さに耐えなくともよい生活を手に入れた。

電車や自動車、24時間開いている、コンビニやスーパー。
電話や携帯。今さらこれらを捨てることは我々にはできない。
いや、私には少なくともできない。(さらに東京の生活も)
寒いのよりも、暖かい方がいいに決まっている。
苦しいよりも、楽チンがよい。

しかし、やっぱり、人間には人間らしい
人間の肌に合ったリズム、速さ、というものがあって、
そこから離れては、生きられないようにできているのでは
なかろうか。

前に、民俗学の話を少し書いたが、
民俗学では、都市に住む人々について、『土から離れた不安』、
というようなことを、いっていた。
これは、本来日本人は田畑を耕して、作物を育て、
そのなかから、様々な日本人固有の民俗文化が生まれている、
というような考えから出発している。
つまり、都市に住む人々は、由(よ)って立つアイデンティティー
のようなものを失っているので、不安である、という。

その当否はともかくとして、これと同じように、
我々が感じている心の不安は、人間のリズムを捨てた不安、
そういうことではないだろうか。

たまには、尾花のような昔の時間で、動いているところで、
人間らしい時間を補給しなくては、生きてゆけない、
そういうことではなかろうか。

少なくとも、今の私には。



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