断腸亭料理日記2008

08年鳥越祭 その2 民俗学的視点

さて、昨日から「08年鳥越祭」というタイトルで
私の、祭観のようなことを書き始めている。

考えてみると、私にとって、祭は、
自分のアイデンティティーのようなものと
どうも密接に関係していることから、生まれ育ち、を
少し、書かせていただいた。

今日は、私の祭観の背景になっている民俗学、について
ちょっと、小難しい話になって恐縮であるが、
お付き合いいただければ幸いである。

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まず、私の考える民俗学という学問について
少し説明させていただきたい。
(むろん、私は現役の研究者ではないので、20年も前に学んだ
半分素人の考えとして、であることはあらかじめ
お断りと、実際に研究をされている方々には
私的な考えとしてお許しを願いたい。)

民俗学という学問は、日本民俗学などという言い方もするが、
日本国内のことを扱い、聞いたことのある方もおられようが、
柳田國男に源を発する学問で、日本国内の民間伝承文化を
研究するもの、である。

日本史などのいわゆる歴史学は、文献史学、などというが、
文章として書かれた史料(資料ではなく、史料と書くが)
をもとにして研究される。

これに対して、日本民俗学は「伝承」という通り、
主として文章になっていない、文献として残されていないものを扱い、
そこから、日本人の文化とは、なにものであるか、
を研究する学問であるといってよいだろう。

文章に書かれていない、ということは、どういうことか。
基本的にはすべて聞き書き。
ムラに入り、おじいさんおばあさんに話を聞く、という
いわゆるフィールドワークスタイルで基礎調査をする。

「伝承」というと、先の柳田國男の書いた、『遠野物語』のように、
いわゆる、民話研究のようなものを想像されるかもしれないが、
民俗学はそれだけを研究するわけではない。

人が生まれてから死ぬまで、行われる様々な行事や儀礼だったり、
食生活に関わるもの、ムラの中の家と家のつきあいだったり、
農業、漁業など、生業に関わる様々な行事や儀礼。

そうした中で、むろん、ムラの中の共同行事、
儀礼の一つとして、祭、というものも扱うわけである。

そして、もう一つ。
扱う対象として、先ほどから、ムラ、という言葉を使ってきたが
民俗学では、おおかた、町あるいは、都市ではなく、
ムラを扱ってきた。

これについては民俗学自身の歴史のなかでも、
いろんな説明をしているのだが、先のような伝承を基礎に
研究をする民俗学のアプローチでは、常に変化し、
種々雑多な人々が色々なところから集まってできている
都市では、研究が成立しずらい。
とても簡単にいうと、人が多く、変化が激しいので
決まった習俗、儀礼などが生まれにくいわけである。

ムラの祭は研究するが、都市の祭は民俗学では
一般には扱ってこなかったのである。

(これはあくまで、一般論である。
私の筑波大学の指導教官であった、故宮田登先生は
『都市民俗論の課題』1982、などというものも書かれており、
試み、アプローチは少なくないのも事実ではある。
また、民俗学の隣接学問である、社会学や文化人類学では
扱っている。)

普通、大学の学部程度の卒業論文でも先に述べたような
いわゆるフィールドワーク、調査をして論文を書く。
私もむろんそうしたのだが、普通、先輩や先生からは
対象として、一番わかっているので、自分の田舎、
出身地で書きなさい、と、指導される。
私の田舎、といえば、東京であるわけだが、
先のように、都市は、民俗学では扱わない、と、
いわれてしまうと、私は卒論が書けなくなってしまう。
(ちなみに、実際には私は、大学が民俗誌の作成を依頼されて
調査環境として整っていた、新潟県山北町で書かせていただいた。)

そんなこともあり、自分の個人的なテーマとして、
自分の故郷である東京を民俗学的視点で、考えてみる、
というのは、今もって存在し続けているのである。

そして、そのわかりやすい形が、自分の住む町の
祭、鳥越祭を考えてみる、ということなのである。

そして、もう一つだけ私の祭を見る、いや、実は
祭に限らぬのだが、視点について書いておきたいことがある。
これは、先日も書いたことではあるが、よいわるい、優劣、などの
価値判断をしないということ。

これは民俗学に限らず、文化人類学など、文化を研究しようとする
学問においては、必須の視点である。

例えば、誰でも知っていることだが、
イスラム教社会は一夫多妻制である。
一方、欧米の、キリスト教的価値観では、
一夫一婦制が当たり前である。
この欧米の価値観からみると、一夫多妻制は
なんて野蛮な、ということになる。
(現代の日本人の価値観でも同様であろうが。)

しかし、これでは、とても研究などできない。
そこで行われている、様々な習慣や行事、儀礼を
一先ずは、あるがままに見て、場合によっては、
研究者自身も参加して、理解し、その上で、考える。

文化を考えるにはどうしてもこの視点が必要なのである。
そして、私の祭を考える視点にもこれは必ず現れる
ポイントではある。

だいぶ長くなってしまった。

昨日の、生い立ち、に加えて、民俗学を学んでいたということも、
私にとっての都市の祭、我が町の祭である鳥越祭の重みのようなものを
お伝えしたかったのである。

続きはまた明日。



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