断腸亭料理日記2009

志ん生の中トロ穴子ちらし その1

7月25日(土)昼

最近「志ん生の食卓」という本を買った。

志ん生とは、むろん、今は亡き、落語家の古今亭志ん生のこと。

志ん生といえば、圓生、文楽と並んで、昭和の名人。
三人の個性はそれぞれ違うが、中でも志ん生師はやはり、今でも
この人の生き方そのものが、落語である、というような
言い方もされる。

無類の酒好き。

あるいは、若い頃は、あまり売れず、
師匠を変えた数、それから名前を変えた数、
日本一であろう、ともいわれる。
従って、貧乏。
「びんぼう自慢」というタイトルの本まで出しているくらい、
貧乏は有名であった。
売れたのは、戦後。

三人の中で比べると、文楽師は、これぞ名人芸といって差し支えない。
毎回寸分違わぬ、完成された噺をきっちりと、お客に届ける。
圓生師は、名門三遊一門を率いて、圓朝から続くストーリーテラー、
厚みと重み。ねたの数はおそらく、随一であろう。
また、軽い噺は軽い噺でこの人のものは
惚けた味わいがあり、実によい。

しかし、志ん生師は、どうであろうか、一番面白み、の、ある
落語家であったと、いえるのではなかろうか。

むろん、皆さん好き嫌いはあろうが、、、。

酒が好きで、酔っ払って高座へ上がるのは、よくあることで、
話しながら寝てしまい、楽屋から起こそうと人が出たら、
お客が、寝かしといてやれよ、といったとか、、。

志ん生師はこの手の逸話には事欠かない。

噺も、できのいい時とわるい時の差が激しい、
などともいわれる。

だが、やはり、この人の、落語に対する、
ある種の天才的なセンスは特筆すべきものがある。
落語というものが、なんであったか、というようなことを
直感的にわかる人であったのだと思う。

よく引き合いに出される例に、「子別れ(下)」の八百屋がある。
別れた息子に、町角でばったり会い、苦労をしていることを
察した親爺は、ちょっと涙ぐむ。
本当は、泣かせどころであり、普通の演出では、
そのまま客もほろりとさせる。

だが、志ん生は、ここに、かたわらで親子の会話を聞いている
通りすがりの八百屋を登場させる。
そして、ほろりとさせた後、八百屋に気付いた、親父は、
「コラ八百屋、なに聞いてんだ!」、と。
ここで笑いを入れる。

「子別れ(下)」という作品の完成度としては、こちらの方が
断然上、で、ある。

ともあれ。

そんな古今亭志ん生師なのだが、
「志ん生の食卓」という本のこと。

これを書かれたのは、美濃部美津子氏。

おわかりだろうか。
志ん生師の本名は、美濃部孝蔵、と、いう。
美津子さんは、娘さん。志ん生師の長女、で、ある。

1924年大正13年生まれ、当年とって85歳。
(ちなみに、池波先生は前年の12年。
関東大震災も、12年。
私の親父は昭和2年生まれで、ちょっと、下、で、あるが
大雑把には、まあ、私の親の世代。志ん生師は、祖父の世代、
というようなことになろう。)

本の内容は、表題の通り、志ん生師の好きだった食べ物、
よくいった、飲食店などについて、長女である、
美津子さんから見た、思い出として、書かれている。
(いわば、志ん生レシピ。)

酒が好きで、ズボラ。

呑んで、仕上げに飯、なんというのは、面倒くせぇ、
と、いうので、ご飯に酒をかけて、酒茶漬けぇ〜〜。
なんという話も、残っている。

しかし、これには美津子さんは、訂正をしている。
酒をかけるといっても、ほんの少し。
一口、二口、だったらしい。
ドボドボかけたら、うまいわけがない、と。

特に、湯島の天ぷらや、天庄でのことを書かれている。
あそこが好きでよくいったらしいが、天丼を頼んで、
天ぷらだけで、酒を呑んで、途中から、ご飯も食べて、
最後に、酒を少しかけて、一度ふたをして、蒸らし、
食べる。これが志ん生流だったという。

その、酒は、と、いうと、菊正、に、決まっていたという。

やっぱり、江戸っ子は、菊正、で、ある。
菊正宗だけあれば、それでいい。

また、天庄の近所、池之端仲通りのおでんや多古久も行き着け。

孫娘(長男馬生師の娘)池波志乃、中尾彬夫妻も、昔から行き着け、
というのは、有名な話。

あるいは。
志ん生師は、マグロが大好物であったという。
そこで、やっぱりズボラなのか、よくマグロブツで
呑むと、飯にのっけて、しょうゆをたらして、
もみ海苔、お湯をかけて、かっこんでいた、と、いう。
これは、まぐ茶、と、いったらしい。

この「志ん生の食卓」、他にもいろいろあるのだが、
なかで、最も、うまそうだ、と、思ったもの。

まぐろが好物。
そして、やっぱり、穴子。

中トロのマグロと、穴子をのせた、中トロ穴子ちらし。
これが大好きで、よくいった、近所(日暮里)の鮨やで
一人で、食べていた、という。

今、ちらし鮨、と、いうと、混ぜ込みの、すし太郎、
の、ような、ものを思い浮かべる方が、多いかもしれない。
しかし、東京では、混ぜ込み、ではなく、刺身など、具を
酢飯の上にのせて食べるものが、ちらし、で、あった。
従って、中トロ穴子ちらし、も、切った中トロと、煮穴子を
のせたもの、で、ある。

余談半分だが、“一人”で、と、いうのは、
実はポイント、で、ある。
家族で、一緒に鮨やへいっても、志ん生師だけは、
これを食べて、お内儀さんや、美津子さんは、
普通のちらし、で、あったという。

少し前に、書いたように思うが、うちの爺さんも、
登亭の蒲焼を買ってきて、一人でつまみにして、
食べていた。
明治生まれの男は、こういうことをする、
と、いうのは、普通であったのであろう。
一家の主人、ということなのか、、。

さらに余談だが、先に、若い頃は売れずに貧乏で、
と、書いたが、たまに入った、寄席のワリ(出演料)も、
呑んだり、博打に使い、家にはまったく入れなかったというのも
有名な話。

これは美津子さんも書かれている。

それで、『家族、とくにお母さんは本当に苦労を
してきました。なのに「俺は貧乏してなかった。
家族が貧乏をしてただけ」ってシレッと言ってたって』
とも、書かれている。

いかにも、志ん生師、らしいではないか。


だいぶ、長くなった、つづきは明日。







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