断腸亭料理日記2009

洋食考察

さて。

このところ、洋食が続いた。
資生堂パーラー、柳橋大吉、カレーだが、日比谷松本楼。
その前の上野のとんかつ、井泉まで入れてもよいかもしれない。

続けて食べるのは、私の性癖として、
これだけ続けて食べると、まあ、少し考えてみたくなる。

“洋食”と、いうものは、なにもの、で、あろうか。

洋食や、と、いうのは、銀座、煉瓦亭など、
東京には明治初めから続く、老舗もあり、
私の地元浅草にも、ヨシカミ、グリルグランド、などなど
老舗、有名店は随分とある。
あるいは、人形町にも、老舗はなん軒かある。
または、帝国ホテルなど、ホテルもある意味、
老舗洋食や、と、いってもよいかもしれない。

歴史をさかのぼると、明治初頭、開国とともに、
ヨーロッパを中心とした国々から、それまで、
江戸の頃の日本人が食べたこともない、食べ物が
入ってきた。

そのルーツの多くは、
当時のフランス料理なのかとは思う。

カツレツ、カレー、シチュー、グラタン、コロッケ、
ハンバーグ、ハヤシライス、、あたりであろうか。
(今日はそれぞれのメニューのルーツを時代考証することが
意図ではない。それはそれでまたの機会にしてみたい。)
あるいは、それらをアレンジした、オムライス、
チキンライスといったもの。

フランス料理は、その後、大成、ヌーベルキュイジンなどと呼ばれる、
今の形に至っている。
また、時代時代で、進化したフランス料理は、今に至っても
入ってきている。

いわば、フランス料理の進化とは別に、
カツレツにしてもコロッケにしても日本に入り、
日本人の舌に合わせて、ローカライズされ、
ある意味、独自の進化を遂げ、淘汰もされたのであろう。
そして、これもきちんとした時代考証をしていないが、
おそらく、昭和初期、戦前にはある程度、今の洋食やで出されている
メニューに近いものが定着していたのではないかと
思われる。

また、とんかつ、のように、カツレツからさらに別の道に
足を踏み出し、和食のような、独特の供され方を
するようになったものもある。
さらに、とんかつは、玉子でとじて、丼飯(どんぶりめし)にのせ
かつどん、に、なってもいる。

また、例えば、スパゲティーナポリタンのように、
戦後、進駐軍の置き土産として、新たに洋食に
加わったメニューもある。

そんな洋食なのだが、洋食と、洋食や、ということに
ついて考えてみたい。

つまり、メニューとしての洋食、と、洋食を出す
食い物やとしての洋食や、で、ある。

洋食やで、出すメニューのいわゆる洋食というものは
ほとんどが家庭料理になっている。
カレーはもちろん、カツも、コロッケも、ハンバーグも。

従って、どこの家のお母さんも作れる、
皆が好きな国民料理、と、いってもよいものである。

これにたいして、洋食やでは、これらお母さんでも
作れるものをプロが作る。

プロの作る洋食も、もう少し細かく見ると、
学校や会社の食堂(学食、社食)や、駅前の定食やの
ものもある。
あるいは、コロッケやメンチカツなどの揚げ物は
肉や、でも、揚げて売っている。

うまいまずい、で、いえば、むろん、お母さんの
つくるハンバーグも社食のカレーも、定食やの
ポテトサラダも、肉やのメンチカツも、それなりに、
うまい。

ここが、一つ、“洋食”の持っているある種の特異性というのか、
特徴があるように思うのである。

なにかというと、外でも食べるし、家庭でも食べるメニューとして
同時に存在しているということ。
意外にこういうメニューは、少ないのではなかろうか。

例えば、ラーメン、にぎり鮨、なぞは、
インスタントのようなものは別にして、
家庭で手作りするものではない。
あるいは、天ぷら。
これも、家でも揚げないことは、なかろうが、
(私はプロを真似して、自分で揚げるが、
これは特異な人間ということだと、自覚はしている。)
やっぱり、目の前でプロの技で揚げてもらって、
揚げたてを食べるのが、最もうまいし、一般的だろう。
あるいは、蕎麦なども、最近は自宅で蕎麦打ちが
流行っているが、やっぱり、池の端藪の、あの雰囲気で、
あの声を聞きながら、乙な器で、たぐるのが
うまい。

もう少し、違ういい方をすると、
プロの手と、素人の手の差が大きいもの
あるいは、差がわかりやすいもの、といったらよいのか。
ラーメンにしても、にぎり鮨、天ぷらも、
そうであろう。

このあたり、洋食はどうであろうか。

ここでもう一度、洋食の歴史を振り返ってみよう。
洋食は、むろん、最初は外の洋食やのプロの作ったものを
食べる料理であったはずである。

前にも一度考察したことがあるが、この頃は
特に下町には、安い、今の定食やに近いような、街の洋食やも
多くあったのであろうし、銀座などの、盛り場にある、
ある高級な洋食も同時にあったのではあろうが、
少なくとも、庶民の家では、戦後しばらくまでは
外で食べるものだったと思われる。

それが、昭和30年代以降であろうか、
「今日の料理」に出演し、家庭でも作れる
ハンバーグの作り方などを紹介した、有名な帝国ホテルの
村上シェフ。
このあたりから、ではなかろうか。

それで、いわゆる“洋食”が家庭に広がっていった。
それも、おそらく、当時広がっていた、郊外の新興住宅地や
団地の奥様達に、であったのだろう。

こうなると、外で食べるよりも、
中で食べる人々の方が多くなり、
洋食や、ではなく、家庭のものをスタンダードと
思う人が多くなっていった。
(特に、下町ではなく、新興住宅地では。)

先に、プロの仕事と、素人の手、というようなことを書いた。
“洋食”の場合、今見たように、昭和30年代以降、
つまり、我々の世代以降であろう、家庭の味がスタンダード
になっている人々が増えた。
そして、プロの仕事と、素人の作ったものの違いが
わかりずららくなってしまったのかもしれない。

むろん、実際には、ベシャメルソース一つでも、
材料も違えば、手間のかけ方も違う。
わかりずらいかもしれぬが、プロの味は、
ちゃんと味わえば、違うのがわかるはずである。

東京の老舗、有名洋食やに、事情を知らない
若い人が、行って、多少うまいかも知れぬが、
サービスがべら棒によいわけでもない
(むしろ、下町では、気の置けないことを
信条にしているところも少なくない。)のに、
チキンライスに、1500円も出せない。
高すぎる。ボリすぎ、ひどい!。
と、よく文句をいっているのを聞く。

これは、そういうことであろう。

じゃあ、なぜ、にぎり鮨は家庭でやらないが、
洋食は家庭にも爆発的ともいってよいほど、広がったのか。
次に、これが疑問になる。

明治から大正、昭和と、洋食の料理人達が作り上げてきた、
日本の“洋食”がうまかった、ということ。
それから、村上シェフをはじめ、奥様でも簡単に
作れる方法を広める人々の努力があった。
もう一つは高度経済成長を背景にした、一般家庭の
洋風化、ということがあったのではなかろうか。
洋風化した台所では、洋食を、という。

考察と題しながら、とりとめのない
話になってしまった。
お許しを。

まあ、しかし、なんのかんのいいながら、
洋食というものは、うまい、ものである。

そして、東京に洋食やがなん軒あるのか、数えたことはないが、
他の日本の都市と比べても、やはり多いのではなかろうか。
(たとえば、人口一人当たりの老舗洋食やの数?
そんな統計数字はなかろうが。)

歴史は100年と少しであるが、ハイカラ好きな
東京人に愛され、うなぎ蒲焼、にぎり鮨、天ぷらなどと同様に、
東京の名物、誇るべき伝統食と、
いってもよいものだと思っている。

いつ食べても、懐かしく、安心でき、うまい、
東京の洋食やに、感謝、で、ある。







断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 |




BACK | NEXT |

(C)DANCHOUTEI 2009