断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き8月 その3

引き続き『講座』の8月。
銀座の回。






銀座北部の江戸の地図。


現代。



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昨日は、江戸の頃の銀座から、明治以降の文明開化、煉瓦地
となり、自由民権運動盛んな頃、新聞社が次々と
開かれ、その後、日本一の商店街になっていったことなどを
見てきた。

江戸の頃は、日本橋ほどの繁華街ではなかった銀座だが、
なん軒か、江戸から続く店舗もある。

・越後屋
呉服店、1755年(宝暦5年)京橋に創業。2代目の時代に現在地に。
現在で8代目、当主は代々永井甚右衛門を名乗っているとのこと。

越後屋は二丁目西側。今は、店の入り口は、裏通り側にある。

その先、東京風月堂。

・東京風月堂本店
1872年(明治5年)創業。明治10年銀座進出。
昭和2年ゴーフル考案発売開始。池波先生の銀座散歩の仕上げ。

ちょっと、お高いが、優雅なお茶が楽しめる。

その先に、カルティエがある。
このカルティエの道路に面した壁、右下にあるのが、
「日本最初の電気灯柱の跡」のプレート。
こんなところに、こんなものが、という感じである。

・日本最初の電気灯柱の跡
明治15年(1882年)、ここに宣伝用として、
2000燭光の街灯が点灯され、当時、ガス灯や石油ランプ程度の
明るさしか知らなかった人々を驚かせた。

と、いうことである。

ここで一度、向かい側の伊東屋前に渡る。
(伊東屋の隣、ティファニー前に、昨日触れた、
銀座発祥の地の碑、が、ある。)

・伊東屋 本店
1904年(明治37年)「和漢洋文房具」という文字と併記して
「STATIONERY」の横文字の付いた看板を銀座に揚げて創業。

正直のところ、伊東屋がここまで歴史があることは
知らなかった。堂々たる老舗、で、ある。

ここまで見て、再び西側に渡り、一本裏の路地へ。
白いばら、というキャバレーがある。
女性の出身地が店前の日本地図に書かれている。
(ここは別段明治創業ではない。)

その先、煉瓦亭

・銀座煉瓦亭総本店
1895年(明治28年)創業。今年で創業115年。
むろん、いわずと知れた池波先生御用達。
ドアを開けてくれるご主人がよい。

どうなのであろうか。
やはり、今、東京で最古の洋食やといってよいのでは
なかろうか。いつも行列。

その先、煉瓦亭と同じ側にある同じく洋食や
スイスグリル

私など、煉瓦亭が行列だと、こっちへ入ってしまう。
発祥という、カツカレーはさすがにうまい。

路地を左、銀座通り側に曲がる。
右側のビルが教文館。

・教文館
1876(明治9)年、横浜でキリスト教布教のための
書籍出版として創業。1891年(明治24)年築地へ移転、
1906年(明治39)年、現在の場所へ移転。現在のビルは
震災後1933年(昭和8)年完成。現在は一般書も販売。

現在のビルはさほど古そうに見えないのだが、
ここも、さすがの銀座老舗。

銀座通りに出て、西側に渡る。
右側のビル、このビルのB1に今、トップスの銀座店がある。
トップスも池波先生御用達。

・トップス銀座店(三和ビルB1)
1964年(昭和39年)赤坂の旧TBS会館にできたのが始まり。
銀座店は1977年(昭和52年)にオープン。私などには
チョコレートケーキの店だが、池波先生はドライカレーが
お好みであったという。(以前は別の場所)

と、いうことで、ここで休憩。
松屋前。

私はもう、2本目の手拭もぐっしょり。
松屋のエントランス内側で、涼ませてもらう。

・松屋銀座
1869年(明治2年)横浜で呉服屋として創業。1925年(大正14年)銀座進出。
(現在の三丁目の場所。)

15分後、再度皆さん集合し、灼熱の銀座の街路へ。

お、もう12時、歩行者天国が始まっている。
再び教文館側に戻る。

ここから四軒の老舗が続く。

・ミキモト
ご存知真珠のミキモト。世界初の真珠の養殖に成功した
“真珠王”御木本幸吉が1899年(明治32年)、
銀座に御木本真珠店を設立。

・山野楽器
1892年(明治25年) ピアノ・オルガンの製造販売の山野楽器店として創業。

・銀座木村屋総本店銀座本店
1869年(明治2年)芝で創業。明治7年、銀座4丁目店舗完成、
酒種あんぱん考案。同8年宮内省御用。大看板は当時山岡鉄舟の揮毫。

・銀座和光
服部時計店の創業者、服部金太郎が、銀座4丁目交差点角地の
朝野新聞社屋を 買い取り、1895年(明治28年)営業を開始。
震災後1932年(昭和6年)現在の時計台のあるビルが完成。
戦後、GHQに接収されるが、その後、和光として現在まで。
経産省指定「近代化産業遺産」。

やっぱり、どこも、明治創業、それぞれの歴史を持っている。

といったところで、今日はここまで。
またあした。






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