断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き12月 その1

12月18日(土)

さて。

土曜日。

NHK文化センターの『講座』「池波正太郎と下町歩き」の
12月、で、ある。

今回は、浅草橋から、柳橋、そして蔵前。
食事は、駒形どぜう

毎度書いているが、店選び、というのが
最大の問題。

駒形どぜう、というのは、池波先生も
『浅草の[駒形どぜう]の方は、数え切れぬほど
通っていた』(散歩のとき何か食べたくなって・新潮文庫)



と、書かれている。

これはまあ、当然、のこと。
育たれた、浅草永住町から真っ直ぐ東へ歩いて、
10分ほど、で、ある。
それこそ、子供の頃からお祖父さんに連れられて
『数え切れぬほど』こられていたのは、頷(うなず)ける。

また、ここは、池波先生に限らず、作家、文化人、
役者のその他、行き付けだった人も多く、
東京の老舗食いものや、と、すれば、超有名店、で、
あろう。

私なんぞも、池波先生同様の近所なので、
仕事帰りに、一人でよく寄って、鍋を二枚食べるのを
楽しみにしている。

本当のことをいえば、どぜうは、夏のもの。
12月、というのは、ピッタリ、ではないのだが、
まあ、お許しいただくとして。
駒形どぜう、に決めた。

歩く場所は、どうするか。
この界隈では、4月の第一回、稲荷町から西浅草、
どぜうのごく近所だが、うなぎの前川、へいっている。

そこで、今回は、先に書いた浅草橋から、駒形まで歩くルート。
元の花街、柳橋。そして、蔵前には、その名の通り、
江戸時代、幕府の米蔵があり、大金持ちの札差が
前町(まえまち)に並んでいた町。
これは、丹念に説明をして然(しか)るべき内容であろう。

と、いうことで、今月の内容が決まった。

例によって、朝、11時集合。
場所は、浅草橋駅、東口地上。

天気もいい。

着物は、紺の細かい縞のウールに
帯は最近買った銀鼠(ぎんねず)の献上角帯。
羽織は青鈍(あおにび)の紬。
白足袋にいつものトンボ柄の鼻緒の雪駄。

出がけに使おうと思っていた羽織の紐が
一本見当たらなくなったりし、別の物をする、などあり、
ばたばたと、出る。

出る直前にマフラーでもした方がよいかな、
とは思ったが、急いでいるし、よいか、と、そのまま。

出てみると、日なたは温かそうである。

春日通りまで小走りに出る。

タクシー。

新堀通りから、蔵前橋通り左折、蔵前通り(江戸通り)を
右に曲がって、浅草橋JRのガードの信号まで。
乗ってしまえば、5分ほど、ではある。

横断歩道を渡って、待ち合わせ場所の階段下
(地下鉄からは、階段上になるが)へ、きてみるとごった返すような人。

浅草橋へ買い物にきている女性達の待ち合わせ、
それから、ちょうど、この階段下の歩道に、宝くじの売り場があり、
これにも列ができており、混雑の素にもなっている。

11時になり、皆さんも集まり、スタート。

地図を出しておこう。

現代


より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き 12月・蔵前 を表示

江戸の地図

人混みを避けて、JRガードをくぐり、
南側へ。

高架下、ちょうど、美夜古寿司の立ち喰い店の脇まで移動。
ご挨拶、資料を配る。

まずは、浅草橋駅のこと。

昭和7年開業。それまでは両国が始発駅であった総武線が、
このとき御茶ノ水まで開業し中央線とつながった。

両国の時にも話をしたが、元々、総武線の始発駅は
隅田川の向こう側の、東両国で、こちら西側とは
つながっていなかったわけである。

さて。

目の前の大きな通り。
今の名前は、江戸通り。
その前は、蔵前通りであり、奥州日光街道の本道。

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江戸初期に整備された。奥州、日光、水戸街道の本道。

日本橋から室町三丁目(右折)、伝馬町、浅草橋、

御蔵前、浅草、吉野町、山谷、小千住(小塚原)、

千住大橋、大千住のルート。初期は幅六間、

明暦の大火後七間〜十間に広げられた。

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今の、日光街道、国道4号線は、昭和通りで、
上野から三ノ輪、千住大橋、北千住のルートであるが、
以前は、ここを通り、浅草を抜けていた。

そして、もう一つ。

この界隈、たくさんの人形店が軒を連ねている。

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・浅草橋人形屋街(久月、秀月、原孝州etc.)

浅草橋の人形屋街は江戸にさかのぼる。

江戸期この地で、2月25日から3月2日が雛人形市、

4月25日から5月4日まで菖蒲人形市が立った。

こうした人形問屋の集中は、現代の浅草橋から駒形周辺の

玩具問屋あるいは、バンダイ、エポック社など玩具メーカーの

本社が集まっていることにもつながっている。

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ここから浅草橋方向へ歩くと、すぐに、人形店の吉徳。
店の中をのぞくと、この時期は、羽子板、の、よう。



といった、ところで、今日はここまで、
つづきはまた明日。





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