断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き12月 その9











現代の地図


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江戸の地図

9回に渡ってしまった、NHK文化センターの『講座』、
「池波正太郎と下町歩きの12月」やっと、最終回。
目的地の、駒形どぜう、に、たどり着いた。

店の前には、いつも緋毛氈(ひもうせん)がかけられた、
縁台が置かれているが、ここには、さすがに土曜日、
待っている人も数組ある。

むろん、私達は予約をしてあるので、
そのまま戸を開け、下足のお姐さんに、名乗る。

あ、はい。

お二階でぇ〜す、どうぞ〜。

ということで、二階に上がる。

私自身は、二階に上がるのは、初めて。
いつもは一階。
大広間の入れ込みで、お膳やテーブルはなく、
板だけが長く並べてあり、そこに焜炉をのせて、
鍋を食うわけである。

二階は、お膳で、掘りごたつ式、足が下せるように
なっている。
案内されたのは、ちょっと、変形の部屋で、
その部屋で、全員おさまる。

メニューはお昼の定食。
どぜう鍋と、柳川、どちらかを選べる、ということにした。
(柳川定食:柳川、田楽、どぜう汁、お新香、ご飯 2,450円
なべ定食:どぜうなべ、田楽、どぜう汁、お新香、ご飯 2,600円)

皆さんに聞いてみると、全員、鍋。

さて。

池波先生と、駒形どぜう。

池波先生は育たれた浅草永住町からも近く
『数え切れぬほど通っていた』と書かれている。

まあ、そうであろう。
私も今、永住町の隣町に住んでいるが、2〜3か月に
一度はきている。
きっと、錺職のお祖父様に連れられ、小さい頃から
きていたのであろう。

五代目のご店主、越後屋助七氏の書いた
「駒形どぜう噺」


を、読んでみた。

創業は1801年(享和元年)。
東京下町のどぜうやとして、今に続いている店の中では、最も古いだろう。
どじょうは、本来の旧カナ遣いでは“どぢやう”。
「どぜう」の表記を始めたのは、この店が最初。

江戸の頃、新吉原、三浦屋の太夫で、高尾というのがあった。
落語の紺屋高尾、は有名である。
紺屋高尾は五代目、ということらしいが、
二代目の仙台高尾、というのもまた、有名。
歌舞伎にもなっている伊達騒動の高尾が仙台高尾。

その高尾が詠んだという

君は今 駒形あたり ほととぎす

という句 がある。

これは江戸の頃から、名代のものであったのであろう。
それを下敷きに、親しかった大田南畝先生は、
駒形どぜうの当時の主人に、

君は今 駒形あたり どぜう汁

というのを贈ったという。

また、明治40年、創業百年記念の頃の
どぜう鍋の値段が載っていた。

どぜう鍋、六銭。(現在1,750円)
どぜう汁、一銭五厘。(同350円)

鍋と汁に飯と酒をつけて二十銭足らず、という。

当時の物価は、そば一杯が、三銭。
大工の手間賃が一円。

安いのか、高いのか、、、?。
今一つ、よくわからないような気もするが、、、。
少なくとも、今よりは安い感じは、するか。

当時は、朝から店を開け、葛飾あたりから、
荷車に野菜を積んで、神田の青物市場へ運ぶ
お百姓達が、朝寄って、食べて、帰りに、昼飯にも
寄った、などともいう。

ともあれ。

お昼の鍋の定食。


三人で1鍋。
大きなもの。
これを二回戦。

田楽。


どぜう汁、と、ご飯。

実のところ、ここで、汁を食べたのは、初めて。
私の子供の頃は、東京育ちの親父も祖父さんも
泥鰌が好物であったからか、よく味噌汁に入れたものが
出た。

泥鰌の味噌汁など、子供のあまり好むようなものではないが、
私は、苦くて、苦手、で、あった。

まあ、家庭のもので、せいぜい、泥鰌は、
酒で煮る、くらいであったろう。

そんなことで、ここでも鍋は大好物だが、
汁は、あえて頼んだことはなかった。

食べてみると、これがまた、うまい。
粕汁、というのか、粕が入った味噌汁。

ちなみに、先の「どぜう噺」によると、
丸鍋のどぜうも、下拵えは、味噌で煮る、らしい。

一人でつつく丸鍋もよいが、大人数で
つつく鍋もまた、よい。

むろん、山盛りの、ねぎもうまい。


腹も一杯。

皆さんもご満足いただけた、か、な。


お疲れ様でございました。

ご馳走様でした。




駒形どぜう

台東区駒形1-7-12 TEL.03-3842-4001






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