断腸亭料理日記2010

初芝居 その2

今日は昨日のつづき。
歌舞伎座、初芝居。

昨日は、菅原伝授手習鑑、車引、まで。



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一、春の寿(はるのことぶき)

  梅 玉

  福 助

  雀右衛門

二、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

  車引

        桜丸  芝 翫

       梅王丸  吉右衛門

       杉王丸  錦之助

     金棒引藤内  錦 吾

       松王丸  幸四郎

      藤原時平  富十郎

三、京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)

  道行より押戻しまで

      

     白拍子花子  勘三郎               

        所化  高麗蔵

    大館左馬五郎  團十郎

四、与話情浮名横櫛(よわなさけうきなよこぐし)

  木更津海岸見染の場

  源氏店妾宅の場

    切られ与三郎  染五郎

        お富  福 助

     鳶頭金五郎  錦之助

      番頭藤八  錦 吾

       蝙蝠安  彌十郎

   和泉屋多左衛門  歌 六

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次が、京鹿子娘道成寺。

元は、能の道成寺。
一応の筋はあり、最後に、押戻し、というようだが、
ちょいと、團十郎が出て、おしまい。
なのだが、結局、舞踊、を観る演目。

やはり、私は、踊り、はだめ。
1時間15分、ほぼ勘三郎先生の、衣装を変えながらの、
出ずっぱりの踊り一本。
(ところどころ、気を失ってしまった。)

勘三郎先生は、08年、浅草の平成中村座で一度観た。

むろんテレビ、映画などでも、どちらかといえば、
三枚目の芸達者なキャラクター、として
よく知っていたが、、へ〜、こんなにちゃんと、
踊りもおどるんだ、、、、というのが門外漢の正直な感想。

もちろん、歌舞伎役者、江戸から続く大名跡、十八代目中村勘三郎、
あたり前であろう。

最後に、正月の趣向か、手拭を客席に捲き、
勘三郎らしい、華やかな舞台が終わる。

買ってきた、大阪寿司を食べて、休み。

最後。

与話情浮名横櫛。

木更津海岸見染の場
源氏店妾宅の場

やはり、これが最も私にはわかりやすく、かつ、楽しめた。

源氏店妾宅の場は、私でも知っていた。

現代の人形町の人形町交差点付近。
もと、寄席の人形町末広があったあたりが舞台。

春日八郎の“死んだはずだよ、お富さん、
生きていたとは、お釈迦様でも、知らぬ仏の、お富さん”
の「お富さん」。

そして、

『しがねえ恋の情けが仇(あだ)、』

から始まり、

『お釈迦様でも気がつくめえ。』

までの七五調の、名台詞。

昨年観た「弁天娘女男白浪」の

『しらざあいってきかせやしょう、、』

『ガキの時から手癖が悪く、抜け参(メェ)りからぐれ出して、

旅を稼ぎに西国を、、、』

『名せぇ由縁(ゆかり)の弁天小僧菊之助たぁ、おれがことだ。』

に、勝るとも劣らないものであろう。

初演は、嘉永6年(1853年)、江戸中村座。
ほぼ、幕末。
ずばり、ペリー来航、幕末動乱の幕開けの年、で、ある。

話は「お富与三郎」の一緒になれそうでなれない、
すれ違いのメロドラマ。
初演の与三郎は、八世團十郎、お富は尾上梅幸。

やはり、実話がもと、で、最初は講釈ねただったらしい。
初演が大当たりをし、九幕三十場、と、長い話になったが、
今は、今日の「見染」と「源氏店」のみが
主として上演されている、と、いう。

話は。

江戸の大店の若旦那、与三郎。
養子であったのだが、実子が生まれ、ぐれて、木更津へ
流れていく。
そこで、ところのやくざものの親分の妾、お富と出会い、
いい中、に、なる。この出会いが、見染の場。

その後、これが親分に見つかり、
与三郎はひどい折檻を受け、お富は海に飛び込む。

二人とも、命は取り止め、お富は和泉屋という店の
大番頭、多左衛門に助けられ、源氏店の妾宅に引き取られる。
与三郎は無頼漢に身を落とし、ごろつき仲間の蝙蝠安(こうもりやす)と
ともに、偶然に、お富の妾宅に強請(ゆすり)にくる。
これが、源氏店の場。

与三郎は、お富と気がつき、またまた、人の妾になっている
ことに、恨みごとをいう。

これが、さっきの、『しがねえ恋の情けが仇(あだ)、、』
の名台詞になる。

(この話、現代でも、けっこうおもしろいと思うのだが、
だれか、クドカン先生あたりか、映画にでもしてはどうだろうか。)

与三郎を染五郎。
お富は、福助。

この演目は、もうこの名台詞につきるだろう。

『Wikipedia』

憶えて、声を出して、いいたくなる。

よっ、高麗屋(染五郎)。

はねて、歌舞伎座を出る。


しかし、私は、どうも、この七五調の台詞というものが
好きなようである。

こうした七五調の台詞といえば、歌舞伎、芝居に決まっている。
落語には、洒落としては、あっても、本来のセリフとしては
登場しない。
同じようなものを、落語では、言い立て、という言い方をするが、
例えば、大工調べの啖呵(たんか)、あるいは、
寿限無の、名前。または、錦銘竹の「わてなぁ、中町の加賀屋佐吉方から、
参じました、へぇ、」の使いの言葉は、七五調ではない。
しかし、落語を演ずる側としても、私は、こうした言い立ても好き、
で、はあるし、気持ちがよい。

歌舞伎以外でも、七五調の台詞はある。

ご存知、国定忠治、名月赤城山。
「赤城の山も、今宵限り、、、、」

これも、子供の頃から大好きで、憶えたもの、で、あった、
(考えてみれば、へんな子供である。)

あるいは、男はつらいよ、の寅さん。
寅のアリア、などといわれているが、
あの寅さんの、文字通り歌うような、一人語りも、よい、ものである。

そういえば、寅さんもやるが、物売りの口上も、
近い世界、で、あろう。

演劇論は私にはわからぬが、
こうした、長台詞(ながぜりふ)、言い立て、
口上は、昔から日本にある、伝統的口承文芸の
一つの形、なのであろう。

若い人には、古色蒼然、かびの生えたものなのかもしれぬ。
しかし、本来は心地よいものとして、日本語を使う我々日本人の
DNAに刻みこまれたもののはず、で、ある。
私には、大切に語り伝えたいもの、だと思うのである。

話がそれてしまった、、。

着物を着て、歌舞伎座に初芝居。
よい正月、と、いってよかろう。






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