断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き7月 その4

さて。

引続き『講座』4回目、本所深川編。
昨日は、両国公園、勝海舟のことまで。







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江戸の地図も。


両国公園から、清澄通り、二之橋へ。


ニ之橋(二ツ目之橋 )。
1659 年 ( 万治 2 年 ) 架橋。
鬼平犯科帳に登場する五鉄はこの橋の挟にあった。

本所二つ目、軍鶏鍋や[五鉄]で、ある。
おまさや、彦十の父っつぁさんが寄宿し、三次郎が営む。
平蔵も気軽に訪れ、盗賊改の、いわば前線基地のような
役割を果たしていた。
本所もこのあたりは、にぎやかなところ、と、
いってよかったのだろう。

橋の袂には『五鉄』の案内板も建っている。
(むろん、作品の中の架空のものだが。)

清澄通りを渡って、向こう側へ行こうと予定をしていたのだが、
暑いので、ショートカット。

二之橋の上で、説明。

上にはここも首都高京葉道路の高架が空を覆う。
よって、江戸からの流れ、竪川もよどんで見える。

向こう側、旧相生町には、軍鶏鍋やのかど家と、
小林一茶、烏亭焉馬の旧居。

かど家
鬼平に登場する軍鶏鍋や五鉄のモデルともいわれている。
1862年(文久2年)。軍鶏鍋定食 8000円程度から。

本所相生町 : 小林一茶旧居 / 烏亭 ( 立川 ) 焉馬旧居
小林一茶が住んでいたのは 1805 年 ( 文化元年 ) から 4 年ほど。
烏亭焉馬は、本名、中村英祝、屋号は、和泉屋で、通称、和泉屋和助。
落語中興の祖ともいう。家は 代々の大工。しかし、ただの大工ではなく、
幕府の小普請方にも出仕した堂々たる身分。
天明6年(1786年)、第一回の『噺の会』というものを向島の料亭
武蔵屋で開いたものが今に続く江戸落語のもとになっている。

(烏亭焉馬は『落語はいかにして形成されたか』で、詳しく書いている。)

立川談志家元の、立川流、亭号の立川は、
おそらくこの人が最初に名乗ったのであろう。
立川の由来は、むろん、ここを流れる、竪川と思われる。

二つ目之橋を渡ると深川(江東区)、かと思うと、そうでもない。
このあたり、旧五間掘、など、掘割が境だったり、ちょっと複雑。

次は、弥勒寺。
これも鬼平ファンならば、忘れられないところであろう。
門前で茶店を営む、平蔵の古馴染み、お熊婆さん。
骨と皮ばかりになって、などと、書かれていたと思うが、
とても魅かれる存在である。

弥勤寺
1689年(元禄2年)から現在地ヘ。江戸期は寺域も広く、
真言宗の江戸でも有数の格式を誇り、「川上薬師」として
江戸の庶民の信仰を集めた。綱吉の頃の繊医者の権威、
杉山検校の 墓もある。

ということなのだが、今は、むろん江戸の頃の面影はなく、
小さなお寺さん。むしろ「戦災殉難慰霊観音像」、東京大空襲で
灰燼にされた、本所深川の人々を弔う、観音様があるお寺といった
方がよいかもしれない。

弥勒寺は本所(墨田区)。
五間掘跡を越えると、深川(江東区)。

と、いうことで、新大橋通りまで出て、やっとたどり着いた、

みの家。
暑い中、皆様、本当にお疲れ様でした。
冷たいビールと、さくら鍋。

桜なベみの家
高橋(たかばし)の伊せ喜とともにこの界隈の、池波先生御用達。
みの家は1897年(明治30年創業。当時の界隈は高橋に船着き場があり、
小名木川、隅田川の水運で働く人々、木場の若い衆その他、
汗して働く深川の人々の腹を満たすところであった。
「馬の肉がこんなにうまいのか・・・ j という
先生の声が聞こえてくるよう。肉さしも先生のお好みだった。


大人数で予約をすると、コースのみ。
さくら鍋の4500円のもの。

刺身。


鍋。


ざく。


残った甘い赤味噌のつゆを玉子とともに、、飯にかけて、、。


これがまさに、堪えられない、、うまさ。

壁に掛けられた、団扇。


これもまた、よい。

なんで真夏に鍋なのか、と、思われる方もおられようが、
江戸人は、夏にこそ、鍋。
軍鶏鍋や、どぜうの鍋も、やはり、夏のもの。

みの家は、以前に、落語協会の暑気払いで、
使ったという話も聞いたことがある。

まあ、今は、クーラーの効いた部屋で食べるので、
むろん、食べているときには、暑くはない。
だが、やっぱり、夏に鍋は、元気が出るというもの。

入れ込みの座敷で、皆でワイワイと呑んで、馬肉を食らう。
これこそ下町の夏、で、あろう。
皆さんも、寛いで、いただけたのではなかろうか。
いつもより、ビールがよく出ていた。


みの家



住所 東京都江東区森下2丁目19番9号
TEL 03(3631)8298



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