断腸亭料理日記2010

日本橋・蕎麦・やぶ久 その1・常盤橋公園界隈

5月24日(月)夜

大手町で6時、仕事終了。

さて。
どうしようか。

例によって、創業明治35年、日本橋のそばや、やぶ久
に、しようか。

が、その前に、ちょっと、気になっていた、常盤橋公園へ
いってみようかしら。
次の『講座』の下調べ、でもある。

江戸の地図(日本橋広域)


常盤橋というのは外濠に架かっていた橋であり、
江戸の頃は、常盤橋御門とも呼ばれ、
江戸城外郭の門の一つであった。

現代の地図も出しておこう。


より大きな地図で 断腸亭料理日記/日本橋 を表示

常盤橋というのは、少し場所は変わっているが、
今でもある。どこかというと、日本銀行の前。
外濠(堀)通りから大手町側に、日本橋川に架かっている。

で、少し距離をおいて、新旧の常盤橋が架かっているのだが、
むろん、このことは昔から知ってもいたし、
通りかかって見てもいたのだが、この旧常盤橋の大手町側、
西詰めが、常盤橋公園という公園になっているので、
これを見てみようと、思っていたのである。

と、ここで、常盤橋公園の前に、毎度余談ばかりで恐縮であるが、
外濠と、日本橋川のこと。

今、書いたように、ここ、日銀の前は外濠通りと呼ばれている。
しかし、前を流れているのは、日本橋川?。
これは、なんであろうか、日本橋川と外濠とは同じなのか??
え?、、、と、いう疑問がわいてくる。。

これは、今は、日本橋川、なのだが、
昔の、いい方では、外濠になる。

日本橋が架かっている日本橋川は、上の地図にあるように、
日本橋の次が一石橋。
ここで、川(濠)は十字に分かれている。
直進方向、江戸城大手門方向にいくのが、道三濠。
左、右が、外濠、ということになる。
で、現代は、その左に曲がる外濠は埋められ、右側が、
以前は外濠だったのだが、日本橋川と呼ばれて、残っている。
まあ、そういう言い方が、合っているだろう。

じゃあ、この日本橋川であり、外濠は、どこへいくのかというと、
左に曲がり、神田橋、一ツ橋へ。
本来はこのあたりから、飯田川という呼び名になるが、
九段下の俎板(まないた)橋に至る。 
で、江戸の頃は、俎板橋のすぐ先で、川は終わり。
明治になり、さらに北上し、水道橋の西、三崎町で、
神田川につなげられた。これは、上に高速が走っているが、
その下に、今もって、流れている。

余談ついでに、もう一つ。

今度は、外濠通りのこと。
ちょっと、混乱してしまうのだが、外濠通りは、この先で
この日本橋川からは離れ、濠とはまったく関係ないところに
いってしまうのはご存知であろうか。

神田橋の手前、鎌倉橋から北へ折れ、司町、淡路町で靖国通りを
渡り、右にカーブし、昌平橋で、神田川を渡り、左折。
昌平坂を上がり、御茶ノ水。
これでやっと、外濠通りらしくなったが、このまま、ご存知の通り、
水道橋、飯田橋、市谷と続く。

つまり、神田のあたり、外濠の役割を神田川がしているのである。
別のいい方をすると、旧外濠は、完全な環状の形になっていなかった。
「の」の字であった。日本橋から内側へ切れ込んで、飯田町で
消滅していたのである。

それで、通りの名前としては、昌平橋から川も掘もないのだが、
鎌倉橋まで、強引に外濠通りの名前を付けて、環状道路にしてしまった、
ということであろう。

まあ、江戸の地図と、現代の地図を見比べると簡単に、わかる話で、
そうとうな、与太話になってしまった。
お許しを。
しかし、現代の東京、私など、江戸との連続性で暮らしていきたい、
と思っても、この鎌倉橋から昌平橋までの『外堀通り』の
名前のように実際の濠とはまったく無縁に、
便宜的に付けられたものがあって、そうさせてくれない。
どうせお役人が考えたのであろうが、なぜ、
こんなことをするのであろうか。生活感覚としても、
ロジカルにも理解ができない。まったくもって、
ケシカラン!で、ある。
(江戸から続く、旧町名をバシバシと変えていったのなぞは、
もっとわかりやすい例であろう。)

ともあれ。

常盤橋公園、で、あった。

大手町、永代通り、JRのガードをくぐって、呉服橋の手前を
左に入る。すると、今の常盤橋からくる通りに突き当たり、
その向こう側が、常盤橋公園になる。

公園というには、ベンチが数個おいてあるだけで、
少し変な形で、大して広くもない。

大きな石垣があり、これが、常盤橋御門跡であった。
先に書いた、江戸の頃の門の石垣が残っているのである。

今は、橋に向かって、大きな石垣が左右にあるだけだが、
実際には、当時は、門そのものの屋根や、番士の控えている
番小屋などもあり、今のように、単なる石垣があっただけではなかろう。

こうした江戸城外郭の門の石垣が、ある程度そのまま残されている
ところ、というのは、少なかろう。浅草橋でも市谷でもいいのだが、
まったく跡形もないところの方が多いと思われる。

そして、常盤橋御門は、石垣だけでなく、今は、
いらなくなっているはずだが、旧常盤橋もそのまま、残されている。
旧常盤橋は江戸のものではなく、明治になって架け替えられた
鉄の橋、で、ある。
(と、このあたりに、ホームレスの人々が一人、二人、
暮らしている。)

案内板によると、明治の頃には既に史跡公園として残そうと
したらしく、それで、残っているようである。

公園内は土で、雨上がりのため、ぬかるんでいる。
足元に気を付けながら、公園内を通り、ホームレスの生活スペースを
縫って、橋を渡る。(この橋の上は、高速が走っており、雨には
濡れなかろう。)

橋の上から右を見ると、2〜30m先に、今の常盤橋が見える。

渡って、外濠通りに出、日銀を正面に見て、右に曲がる。

すぐに、常盤橋の交差点。

渡ってみる。

与太話で、長くなってしまった。
恐縮だが、つづきはまた明日。










断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 |

2009 12月 | 2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 |




BACK | NEXT |

(C)DANCHOUTEI 2010