断腸亭料理日記2010

浜離宮と、銀座・天ぷら・天國 その1

10月10日(日)

連休中日。
日曜日。

ちょいと、片付けなければならぬことがあり、
昼前、オフィスへ。

1時間ほどで終えて、出る。

有楽町線に乗って、銀座一丁目へ。
今日は、浜離宮へいってみようと思い付いた。

浜離宮というのは、正式名称は、浜離宮恩賜庭園。

○○恩賜○○、というと、恩賜公園というのが
思い浮かぶ。私のいちばん身近だと、上野公園。

この、恩賜、というのは、ご存知の通り、
皇室の持ちものになっていたことがあるものを
一般の利用ができるようにしたもの、なのであろう。

浜離宮は、江戸の頃は、将軍家の持ちもので、浜御殿。
明治になり宮内省の管轄になり、浜離宮。

戦後、東京都に下賜され、今に至っている。

ちなみに、恩賜庭園というのは、他にあるのかと
調べてみると、お隣、浜松町の芝離宮。
さらに、恩賜公園というのは、上野以外は、
井の頭公園もそうで、明治の頃は皇室の御用林であったという。
(他に、恩賜○○はどんなところがあるのか。
なんとなく、調べてみたくなったが、まあ、またにしよう。
あるいは、将軍家の別邸○○御殿は、他にもあるが、
これも、またの機会に。)

なんでまた、浜離宮なんぞへ?
と、思われるであろう。

将軍家の持ちもの、ということで、むろんのこと、大名庭園。

大名庭園というのは、先の芝離宮もそうだが、
都内になん箇所か残っている。駒込の六義園、小石川後楽園、
三菱の岩崎家のものだが清澄庭園なんかも、まあ、
そういってもよいのか。

私はむろん、きれいだとは思うが、
どうもこの大名庭園というものが、苦手である。
なぜかといえば、だいたいにおいて、だだっ広く
どこで、なにを見たらいいのかよくわからない。
身の置き場に困る、のである。

それよりは、京都のお公家さんの作った庭の方が
よっぽど、よい。

去年、偶然、東山の青蓮院門跡の庭を見る機会があったが、
あれはよかった。江戸初期の小堀遠州など大家もあったが、
彼らの作った庭には、到底及ばないのではなかろうか。
あの細かさ、緻密さ。私など素人だが、作品としては
レベルが違うのではなかろうか。

もっとも、大名庭園というのは、おそらく大人数で
たのしむもので、これに対して、京都の方は、比較的少数で
たんしむ、というような違いがあったのかも知れぬ。

まあ、私の大名庭園の認識は、そんなことなのだが、
例の『講座』関連もあって、浜離宮は小学校なんぞの
社会科見学できた覚えはある程度なので、見直しておこう、
と、考えたのである。

そして、ついでに、近所の天國で天丼を食おう!、と。

銀座一丁目で降りて、歩行者天国の銀座通りを
真っ直ぐに歩いて、松坂屋あたりから、左に曲がり、
昭和通りも越え、ちょいと、竹葉亭などがある、
(昔の?)料亭街を抜け、上に首都高速が走る、
海岸通りに出る。

左に曲がって、カーブしている通りも道なりに、
浜離宮の角の交差点までくる。

左へ曲がると、新大橋通りで、築地へいく。
新大橋通りを渡り、浜離宮側へ。
ここに大きな橋がある。

石造りで古そうである。

この下の堀、というのか、川は、
浜離宮と築地の間にあたるが、築地川。

海側の川面には、たくさんのプレジャーボートなどが
係留されている。
この築地川を出ると、すぐに隅田川というのか、東京港。

反対側はすぐに行き止まり。
昔は、汐留川として、今歩いてきた海岸通りの
下を流れ、外濠につながっていた。

海岸通り側の壁には、一応、汐留川の暗渠らしい口が見える。

橋を渡ると、少し広いスペースがあり、
観光バスが2〜3台停められている。

浜離宮の入り口両側には大きな石垣がある。

は、はー、こんなものがあったか。
あまり記憶はなかった。

これは、江戸各所の内濠、外濠にあった見附の門の
石垣と同じようなものである。
(今、残っているのは少ないが、日銀前の常盤橋御門跡など。)

石垣の間を通り、中へ。
右側にある事務所の窓口で、入場券を買う。


大きな地図で見る

それこそ、子供の頃にきて以来なので、ほとんど
憶えていない。

今の私の目で見ると、それなりにいくつかの発見はあった。

どうであろうか。
広さは、他の東京の大名庭園と比べても、最も広かろう。
池は三つ。海につながった、汐入の池もある。
これだけ大きいと、鳥など、野生の生き物も随分と多い。

これは、鵜(う)であろう。



鵜は、確か、上野の動物園の中にも野生のもののコロニーが
あったと記憶している。
彼らの住まいは上野公園で、東京湾で狩をして暮らしている。

この浜離宮の鵜も、ここで暮らしているのか。

また、もう一つ、驚いたのが、鴨。

将軍といえば、鷹狩というのが家康の頃から、
好んで行なわれていたと思うのだが、この浜離宮(御殿)の中で
実際に狩りをする鴨場(かもば)、と、いうのが、あったのである。
三つあるうちの一つ、真ん中、右の池がそれ。

これはまわりを高い木で囲まれ、外から隔絶されている。

ここにオトリのアヒルなどを飼っておき、野生の鴨をおびき寄せる。
これを隠れていて、網で獲る、というものらしい。
(なので、これは、鷹狩とはいわぬのかもしれぬ。)

この池は近くまでくると、外から見えないように
土手で囲われており、どんなものかと、その土手へ登ってみた。
すると、バタバタバタ、と羽音がして、鳥が池におりていった。



一面緑の水草に覆われた池の上に、鳥が浮いている。
これは鴨であろう。

それも野生の。

なるほど。
こんなビルに囲まれた都心の現代の鴨場でも、
十分に狩りができそうである。

だいぶ長くなった。
今日は、このへんで。
つづきはまた明日。







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