断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き 8月 その7


さて。

8月の『講座』。
いよいよ、今日は、最終回。





上野の山と、上野広小路を歩き、
歴史を振り返ってきた。

井泉のある、広小路の西側、というのは
下谷の花柳界であったところ。

そういえば、この回の歩き始め、
根岸も花柳界であった。

東京の盛り場でも、あるいは、
今は盛り場でなくなっているところも、
以前、花柳界であった、というところは、
なんとなく、他とは違う匂いが漂っている。

ここが花柳界であったなどというのは、
あまり人は教えてくれないし、大々的に
どこかに書いてあるものではない。

従って、私なども、知らずにその界隈で
飲食をし、なんとなく、町の匂いが“違う”ことに
気が付き、調べてみて、わかったということが多い。

鶯谷駅前のホテル街なども、これが
根岸花柳界の跡であることなど、
あるいは、花柳界の跡が、こうなっていることなど、
あまり語られることはない。
不思議といえば、不思議である。

やはり、知っている人も、地元の人も、
大々的に世の中に公表することではないと、
考えているからであろうか。
そんなことが、気になってくる。

ともあれ。

下谷の花柳界は、ほとんど、名残り、というものは
ないかもしれない。
それこそ、今回の井泉は、名残りの一つとも
いえるかもしれない。

多少あるのは、天神下の和菓子や。
あるいは、よく探すと、一軒、二軒、残っている、
もとは待合、置き屋であったと、想像される
木造建築。

よく花柳界、というと、江戸の風情を残す、粋な町、
などという人がいるが、これは、東京の場合、
ほとんどが、大きな間違い、で、ある。

江戸から続いていた花街、というのは、実のところ、
数えるほどしかなかった。

江戸の頃からなんらかのものはあっても、明治以降、まるっきり
客層も雰囲気も、変わってしまっているところがほとんど。
新橋、などはその典型、である。

そういう意味では、正統な、江戸芸者がいたのは、
柳橋ぐらいである。

では、この上野、天神下の下谷花柳界は、
江戸の頃はどこにさかのぼるかといえば、
明確な関連はわからないが、前々回に書いた、
上野山下のけころ、あるいは、池之端仲町通りあたりの料理や、
といってよいのかもしれない。

そのお姐さん達と、明治大正の下谷の芸者衆と、
どうつながっているのか、いないのか、
今これも私は、情報を持っていない。
(課題としよう。)

ともあれ。

下谷花柳界の最盛期は戦前、大正期。
1922年(大正11年)で料亭28、待合108、芸妓屋231。
(そうなのである、いうのならば江戸ではなく、明治から大正の
雰囲気、なのである。)

当時のナウな新橋がN0.1、次が江戸正統派柳橋、その次が
相場師達でにぎわった、芳町(人形町)。

その次、4番目が、この下谷、で、あった。

戦争で一度焼けて、戦後、ある程度
花街として、復活はしたのであろうが、
戦前ほどではなく、今の、ちょっと場末な感じの
クラブ街、キャバクラ街に、なっていった。
そんなところであろうか。(これには、おそらく
戦後の闇市が影響していたのではないか。
戦前は、もう少し、品のある街だったのではなかろうか。)

そして、もう一つ。

なん度も書いているが、ここ、上野は
とんかつ発祥の地。
(いや、正確には、発祥は、違っているかもしれないが。)

明治期の洋食やのメニュー、カツレツが独立し、
とんかつになったのが、どうも、明治末から、
大正の頃。

その頃に創業時期をさかのぼれるとんかつやが、
上野には、3軒ある、ということ。

それは、蓬莱屋、ぽん多、井泉。

(正確にいうと、と、書いたのは、この時代創業している
とんかつやは、他に新宿の王ろじがあり、
この時代にとんかつは、都内で、同時多発的に、
生まれた可能性は捨てきれない、ということである。)

で、これは、ちょうど、先の下谷花柳界華やか
なりし頃と重なっている。

とんかつは、下谷花柳界で(も)生まれ、支持され、
定着した。こう考えるのは、さほど間違っていないであろう。

ただ、なぜ、ここ、上野だったのか。
これがわからない、のである。

当時の花柳界のあった、盛り場、新橋や、銀座、あるいは、
芳町、浅草、などなどでもよかったはずである。

これは、私の勝手な推量である。
現代の、とんかつやは別として、本来のとんかつというのは、
庶民のもの、カジュアルなものであったのだと思う。

今でも、値段は高くとも、気取ったとんかつや、
というのは、あまりない、かもしれない。

そういう意味では、今言う、B級グルメ、だったのかもしれない。
そのあたりが、上野に合っていたのではないか。
そんな気がしている、のである。

さて。

池波先生のとんかつ好きは
あまりにも、有名、で、あろう。

目黒のとんき、なども池波レシピ。
店で食べて、おみやにもしてもらい、
夜食にしたり、翌朝食べたり、と、
まあ、普通ではあまりしなかろうことを
している。

上野で、先生が書かれているのは、ぽん多本家、
なのであるが、あそこは席数が少なく、
この『講座』では使えないので、こちら、
井泉、と、なった。

二階の座敷。

注文は、看板のヒレカツ定食。



ここのホームページのクーポンを持っていけば、
おみやげのミニカツサンドが全員に、おまけにもらえる。

味噌汁も、濃くて、うまい。

うまかった、うまかった。

皆さんはいかがであったろうか。

しかし、とにもかくにも、
お疲れ様でございました。

また、来月。



井泉



文京区湯島3-40−3
TEL 03-3834-2901




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