断腸亭料理日記2011

浅草・洋食・ヨシカミ

8月15日(月)夜

さて。

今日は、つくばの事業所からの帰り、
少し、遅くなり、浅草のヨシカミに寄ることにした。

いや、遅くなったから、というのは、あまり
正しい理由ではないのかもしれない。

なんだか、無償に、ヨシカミで、
食べたくなった、といった方が、よいだろう。

やはり、地元で便利だから、というのもあるが、
それだけではなく、そうとうに、ヨシカミが、
好き、なのかもしれない。

いや、少なくとも、いった回数は間違いなく、
洋食やの中で、No.1、である。

浅草にも洋食やは、むろん、たくさんある。
東京下町でも有数の密度、と、いってもよいだろう。

たとえば、グリルグランド
公平にみて、料理のクオリティーは、
こちらの方が、上、である、と、思う。
(特に、ミックスフライは、東京1、で、あろう。)

じゃあ、なぜ、ヨシカミなのか。
先にも書いたが、六区という場所の便利さはある。

だが、やはり、店の雰囲気。
一人でカウンターに座った時の、居心地のよさ。

厨房の中でキビキビと働くお兄さん達の姿が
見えるのもよい。

そう。

これは、池波先生も書いていたような気がする。

目黒のとんかつや、とんき、などもそうだが、
カウンターに座り、目の前で、無駄のない動きの
料理人達が、テキパキと、段々に、料理をこしらえていくのを
見ているのは、ほんとうに、愉しいもの、で、ある。

飾らない活気、というのだろうか。
やはり、これが見られるのが、よいのである。

ともあれ。

9時すぎ、店に入る。

呑みや、ではなく、浅草の食べ物やで、
この時間までやっているのは、貴重、で、ある。

一人、といって、案内された、カウンターの
手前に、座る。

そう。
このカウンター、少し目の位置が高い、のである。
これも、眺めをよくさせているのかも、しれない。

メニューが置かれるが、間髪を入れず、ビール!、と、いう。

それから。
毎度、私の頼むものは、決まっているが、
コンビネーションサラダと、チキンライス。


すぐに、ビールがくる。

やっぱ、浅草は、スーパードライだよな、
などと、一人思いながら、一杯、二杯、ぐびぐび、呑む。
(本社が吾妻橋にある関係で、昔から、浅草は、
アサヒビールの地盤、だそうな。
確かに、浅草のスーパードライのシェアは
そうとうに高い。)

ちょうど、この入口に近いところが、
つまり、私の座った目の前が、サラダの
作業をするところ、と、決まっている。

ボールに野菜を入れ、ドレッシングを入れ、
あらかじめ和えてから、盛り付ける。

ボールを両手で持ち、小気味よく音を
立てながら、振って、和える。

トマトの一切れ、鮮やかな包丁さばきで
ペロッと、皮をむいた。

包丁を下に置いて、トマトの方を、
くるっと回したように、見えた。

ガラスの器に盛り付けて、

できた。


ここのドレッシングはフレンチドレッシングなのだが、
酸味が少ない。
これが、うまい。

日本人の男は、酸味に苦手、と、いわれている。
なんでも、舌の、酸味を感じる部分が多から、
と、聞いたような記憶がある。

ここのドレッシングというのは、
男の味覚に合っているのか。

そう。

この、ヨシカミは、女性ではなく、
男の向け、なのではなかろうか。

いや。

ここだけではなく、東京下町の
洋食やは、皆、そうだった、のではないか。

なにか、そんな気がしたのである。

今の東京のレストランのほとんどは、
女性向け、で、ある。
むろん、女性がくれば、男性がくる、
と、いうことである。

昔の洋食や、は、もしかすると、
これと反対であったのではないか。

下町で洋食やが、広まったのは、
大正から昭和初期。
その頃のことである。

まあよい。

それは、また、今度、ゆっくり考えるとして、
今は、チキンライスを食べよう。








ヨシカミ





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