断腸亭料理日記2011

親子丼

12月17日(土)第四食

なにか、食べてばかりいるような。
それも、先週から鶏ばかり。

同じようなものばかり食べたくなるのは、
私の場合、比較的よくあること、ではあるのだが。

ともあれ。

7時すぎ、外出していた内儀(かみ)さんが帰ってきた。

内儀さんは食べていないので、自分で買ってきたものなど
広げ、私もつき合う。

その後。

遅い時間になって親子丼、で、ある。

親子丼は、先日、東京駅に入っている新橋鶏繁
で食べたのが、頭にあり、食べたくなったのである。

さて。

親子丼、というのは、そもそもどういう食い物、
で、あろうか。

しょうゆの甘辛の味で、玉子でとじた丼ものの一種。
今、他にはかつ丼が一般的であろう。

以前に、かつ丼について考えてみたことがある
ここからすると、おそらく、時代的には明治。
親子丼が先にあったと考えてよいと思っている。

私が初めて池波作品、鬼平犯科帳に出てくる
軍鶏鍋を再現してみた際、発見したことでもある。

つまり、江戸時代から江戸では庶民の間で軍鶏(鶏)を
鍋で甘辛で煮て食べるメニューがあった。
おそらく、玉子をくぐらせて食べることも
あったのであろう。

これを玉子でとじて、飯にのせれば、すぐに親子丼になる。
(江戸期から親子丼に近い食い物は、あったのではないか、
ということである。)

人形町の老舗玉ひでのページには
親子丼の誕生について書かれているものがある。
やはり軍鶏鍋、鳥寿喜(とりすき)からということ。

そして、ここには(玉ひでが、親子丼の発祥の店かどうかは別にして)
年代は明治24年とある。

さて。

こう考えてくると、親子丼発祥については、
もう一つ気になることが出てくる。

それは、いわゆる丼ものがいつ生まれたのか、と
いうことである。

丼飯の上になにかを載せて、一杯で一食の飯として
完結させた食い物。

つまり、天丼、うな丼のこと、で、ある。
天丼、うな丼と、親子丼とどちらが先か。
このことである。

丼ものは、忙しい東京の人々が、考えた、と、
よく説明をされる。

まあ、江戸の頃と明治になってからでは、忙しさは
異なっていよう。
魚河岸、ヤッチャ場など、時間に追われる人々は、

江戸の頃からいたであろうが、株や米などの取引市場ができ
決められた時間で動かなければならず、ちゃちゃっと
飯を食う必要に迫られた人々は確実に明治に入り、増えたであろう。
そして、この人たちは、そこそこ金はあった。

一杯で簡単に昼飯を済ます、という丼ものが明治になって
定着したというのは、リーズナブルではある。

現在私は、天丼にしてもうな丼にしても、いつからあったのか
確たる証拠(史料の類)を持ってはいない。

証拠捜しは私の宿題とさせていただくが、
天ぷらも、うなぎ蒲焼も江戸からある食い物である。
忙しくなくとも、飯にのせて食べる、という習慣が
江戸期からあってもなんら不思議ではない。
(これは親子丼についても同様である。)

一方で、丼一杯で完結させる食べ方は、金のあるなしではなく、
日本人にとって、汁かけ飯や、茶漬け同様、
正式な食事ではなかったはずである。この点は重要であろう。

落語に出てくるうなぎやでは、うな丼うな重ではなく、
蒲焼で呑んで、あとでご飯、という食べ方をしている。
(うなぎの幇間など)。
時代は明治と思われるが、この頃でもまだ、丼やお重ではなく、
蒲焼を料理として食べる方が、うなぎやでの
一般的な食べ方であったといえよう。

またまた、与太話が長くなってしまった。

テフロンの丼鍋で作る親子丼。

今日買った、もも肉、半分を一口に切る。
玉ねぎ半分をスライス。

つゆは、どうしようか。
今日の焼鳥のたれ。
これをのばそうか。

丼鍋にたれを入れ、ここに酒。
煮立て、味をみる。

ちょいと、しょうゆを足す。

玉ねぎ、鶏肉を入れて、火を通す。

その間に、玉子二個を割りほぐし、
飯も冷や飯を冷蔵庫から出し、レンジで温めておく。

玉ねぎ、鶏肉に火が通ったら、玉子を投入。


いい感じ。

ふたをする。
30秒以内、で、あろう。


ん!。いいかな。

丼飯に、、、、スライドさせながら、、、!?

うゎっ、、だめだ。崩れてしまった。

テフロンにすればうまくいく、というような単純な
問題ではなかった。

親子丼は半熟、それも玉子はできるだけ柔らかいものが
うまい、といえよう。丼に移してから、生の卵黄のみ
真ん中にのせるところもあるくらいである。

柔らかいものを、そのままスライドさせるというのは、
至難の業、で、ある。
これは結局、加減の問題であろう。
ある程度許せる半熟状態で、かつ、スライドできる堅さであれば
よい、ということになる。


崩れて、混ざってしまったが、玉子は半熟以前で、
とろとろで、うまくできている。

しかし、食べていて思ったのだが、これでいいのでは?
ということである。

きれいにスライドできないのは癪(しゃく)に障(さわ)るのだが、
自分で食べるもの、ミテクレなどどうでもよい。半熟以前の
玉子かけご飯に近いくらいの方が、断じてうまい。
先の“加減”を追及する意味が果たしてどれだけあるのか。




明日は、引き続き、本命のはずだった、
親子丼。








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