断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き1月 その4

さて。

まだまだ、引き続き『講座』の1月。





より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き1月 内神田 を表示


江戸の地図


神田というと、江戸っ子の町の代表でもあるのだが、
もっと広く、江戸町人の町の代表、といってもよいだろう。

江戸町人の町とは、実際にどういうものであったのか、
これもきちんと、書いておきたい。

本来町人というのは、士農工商の士と農以外の、
工商をいうわけだが、その工商でも、実際に
いわゆる市民権を持っているのは、ほんの一握り。
基本は、土地を持っている地主だけであった。

江戸開府当時、城下に集められた、商人や
職人達に、土地を与えた。
これが、江戸草分けの人々であり、地主である。

大工の棟梁だったり、問屋の主人だったりし、
表通りに店を構え、その間口によって、税金(町入用)
を掛けられ、町役人(ちょうやくにん)として、
幕府の支配を受けたわけである。

こうした地主は自らの土地である店の裏に、いわゆる
棟割長屋を建て、ここの店子(たなこ、公的には店借・
たながり)を住まわせた。税金を払うのは地主のみで
店子は無税であった。


また、自らは地主ではないが、地主から土地を借り、
表通りに家を建て、店を持つ者を、家主(いえぬし、
公的には、地借・じかり)、落語に出てくる、家主=
大家さんは、こういった存在であった。
こういった家主のうちの有力なものも、町役人を務めることが
多かった。そして、家主は店子である長屋の住人達を
管理監督する責任を持たされ、ここから
「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」
という関係が生まれていったのである。

とまあ、こんなことで、落語に出てくる
江戸町人の生活世界が出来上がったのである。

そして、神田の職人町の、その後。

江戸初期の様々な職人達が集められた、職人町の
神田は、江戸の都市としての発展とともに徐々に
変わっていった。

小規模な城下町であれば、一か所に職人が住んでいても
よいのだろうが、大工にしても、左官にしても、
仕事の需要は、江戸中にある。

そこで、職人達は、徐々に、江戸全体へ広がっていったわけである。

むろん、それこそ、戦後まで、神田駅そばの紺屋町で
染物をしていたところもあったが、職人町の神田は、
江戸初期から比べると、段々に職人色は薄まっていった。

代わりに、神田に広がっていったのは、
文人墨客、文化人、学者の町という色合いである。

神田は、江戸城にも近く、中心地といってもよい。
そういう立地もあり、学術、文化文芸関係に
携わる人々も集まって住むように、なっていった。

具体的には、学者、儒者、戯作者、川柳・狂歌師、
絵師、浮世絵作家などである。
後で、また触れることになるが、その代表的なところは、
神田お玉が池である。
また、書道家、名のある寺子屋なども神田界隈には
多くあったようである。

長くなったが、このあたりまでが、
いわば「神田概論」と、いってよかろう。

ここまでを、最初に書いた、神田下水の碑のある、
ドラッグストアの角で、説明し終える。

寒い、街角で、聞いている皆さんもたいへんだが、
私も寒かった、、。

で。

あ!、忘れてた。

神田下水のこと。

神田上水の間違いではなく、神田下水。

これは、この通りの地下に東京で最初に作られた、
下水のこと。

1884年(明治17年)、コレラの流行によって、
特に衛生状態のわるかった、この界隈に西洋技術を取り入れて
近代下水が作られたのである。

さて。

やっと、歩き始める。

方向は、南下。

さっききた、駅の方である。

しかし、駅ではなく、ガードをくぐる。

ガードをくぐって、先日書いた、
おでん、尾張屋の、路地。

尾張屋の前を通って、真っ直ぐ、路地を抜ける。

出た通りは、中央通り。


と、いったところで、今日はこのへんで。






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