断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き7月

その9


7月16日(土)

引き続き、7月の『講座』。

今日は、最終回(かな)。




本所二つ目、竪川に架かる二之橋を後にし、再び、南下してくる。

路地を左に入り、弥勒寺。

鬼平の頃は、このあたりの一区画、
広大な寺域を誇っていたが、今は
このあたりの他のお寺さんと同様で、
小さいといった方がよかろう。

綱吉の頃の針医者の大家、
杉山検校の墓があるが、それ以上に、
弥勒寺には、戦災殉難慰霊観音像があること
を記さねばならなかろう。

今では、むろんそんな痕跡はないが、
ご存じの通り、本所深川は、東京でも
昭和20年3月、かの東京大空襲によって、
壊滅的な破壊を受け、死者、行方不明者10万人以上
という、文字通りの地獄絵図となった。

ここには、3000柱以上の遺骨が納められ、
観音像には遺骨が塗り込められているという。

鬼平ゆかりの弥勒寺、ではあるが、
そんなお寺さんでもある。
8月を前にし、改めて、そのことに思いを馳せ、
合掌。

さて。

ゴールはもうすぐ。
(ビールが待っている!。)

最後は、ちょうど、ゴールの桜鍋、みの家の真裏。

長慶寺というお寺さん。
ここにも、寄っておかなければならない。

曹洞宗のお寺。
江戸初期の旗本徳山(とくのやま)五兵衛重政の
中興開基という。
徳山五兵衛重政は、本所開拓を行なった初代本所築地奉行。

池波作品『男の秘図』の主人公徳山五兵衛秀栄(ひでいえ)は孫。
徳山家の屋敷跡は両国の北、現在の本所石原に徳山神社となっている。
(『男の秘図』を読まれていない、特に男性の、池波ファンがいたら、
是非、お奨めする。池波作品で、鬼平、剣客、梅安以外で、1作挙げろと
いわれれば、迷わずこの作品、で、ある。)

そして、今は、それらしい縁ものも、ないようなのだが、
ここには、江戸の頃の大泥棒、日本左衛門の墓があったという。
(震災、戦災で焼失したらしい。)

日本左衛門とは誰だ?と、思われる方も多いだろう。

歌舞伎ファンであれば、歌舞伎「白波五人男」
(青砥稿花紅彩画・河竹黙阿弥作)の日本駄衛門のモデルと、
いうと、お分かりかもしれぬ。

江戸中期(享保〜延亨)、遠州を拠点に荒らしまわった
大盗賊の首領として実在の者。

と、これがまた、池波ファンにもちょいと、
引っ掛かりが出てくる。

当時盗賊改の長官であった前記の徳山五兵衛秀栄によって
一味は捕縛、日本左衛門は京都所司代に自首、晒首になっている。

ここに墓があった、というのは、やはり、徳山家との
縁なのかもしれない。

と、いうことで、白波五人男といえば、傘を肩にかけて、
五人が順々に口上をいう、あまりにも有名な、稲瀬川勢揃いの場、
そして、名科白、日本駄衛門の口上を、書き出しておこう。
(音読を!)

問われて名乗るもおこがましいが、産まれは遠州浜松在、
十四の年から親に放れ、身の生業も白浪の、沖を越えたる夜働き、
盗みはすれど非道はせず、人に情を掛川から、金谷をかけて宿々で、
義賊と噂高札(たかふだ)に、廻る配附の盥(たらい)越し、
危ねえその身の境界も、最早四十に人間の、定めは僅か五十年、
六十余州に隠れのねえ、賊徒の首領日本駄右衛門。

長慶寺では、最後のもう一つ。

ここには、芭蕉時雨塚跡、というのも、ある。
やはり、震災戦災で、台座だけになっているが、
芭蕉翁縁の塚。

芭蕉が、1694年(元禄7年)大阪で没した後、
江戸蕉門の杉風、其角等は芭蕉を偲び、芭蕉の落歯と
芭蕉自筆の短冊を埋め、塚を築いたもの、という。

世にふるも更に宗祇のやどり哉

(短冊には有名なこの句が書かれていたようだが、
なぜ、この句なのか、など、詳しいことは、わからない。)

これで、終了〜。

皆様、お疲れ様でございました。
新大橋通りに出て、みの家到着。

中に入ると、さすがに冷房が効いており、
生き返るよう。

なぜ、こんな真夏に鍋なのか?
そう思われる方も、多かろう。

また、昨年と同じというのも、芸がない?。

しかし、これは、これがよいのである。

軍鶏鍋、甘酒などもそうだが、暑いときには、
暑いものがよい。
これは、江戸からの、東京の伝統である。

落語協会の全員参加の真夏の暑気払いも、
過去、ここでやっていたことがあったと、聞いている。

よいものは、毎年続ける。
そういうものではなかろうか。

桜肉は、馬からの洒落で、蹴っ飛ばし、
などともいわれていた。
この店は、大正も近い、明治の30年、創業。

この講座の最初に書いたが、小名木川の水運が栄えていた頃
船で働く、深川の荒くれ達が、つついた、蹴っ飛ばし、
で、ある。

店は、入れ込み。

床は涼しい、藤敷。

壁には、店の名入りの団扇が掛けられているのも、よい。


お通しは、たたきの酢のもの。


肉刺し、と、いっている刺身。
淡泊で、実にどうも、ばかうま。


鍋。

八丁味噌の甘辛。

桜肉は、硬くなるので、煮えたそばから、
どんどん、食べる。

ビールが、うまいこと、うまいこと。

最後に残った、鍋のつゆを生玉子、飯にかけ、、、。

もう、なにも思い残すことはない。

真夏には、桜鍋。

お疲れ様でした。

また来月。



みの家




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