断腸亭料理日記2011

モルディブ行き その5

さて。

今回のモルディブ行き、今日が最終回。

二つのトピックスを書いてみたい。

一つは、今回訪れた、ワン・アンド・オンリーにある
もう一つのレストランのこと。

今まで書いた、メインダイニングと、
アラビアンレストラン以外に、もう一つ、
日本食のレストランがここにはある。

なんでも、NYの有名日本食レストランにいた
人がやっており、人気であるという。

私の場合、がっかりするのでは、
という予測はしていたのだが、やはり、
行かない、というのもヘンだと思い、
行ってはみたのである。

行ってみれば、まあ、予想通り。

食べたのは、にぎり、刺身、巻物。
で、やはり、う〜ん、と、首をひねる結果ではあった。

なにがといえば、にぎりの鮨と、刺身。

こういうところであるから、
こういうところらしい、例えば、
カリフォルニアロール、のようなもの
であれば、なんら問題はない。
いや、むしろ、うまい。

しかし、にぎり鮨は、なぜだか妙に、小さい。
刺身もマグロなぞは、折角のインドマグロの
産地であるはずなのに、冷凍のような味。
日本でいえば回転寿司レベルであろうか。

モルディブで獲れたマグロも
刺身で食べられるような扱い方を
していないのかもしれない。

まあ、考えてみれば、当たり前か。

江戸・東京で生まれ育ったにぎり鮨は
東京が一番うまいに決まっている。
でなければ、嘘、である。

築地は世界一の魚市場。
その頂点に立つねたが、東京の鮨やで
握られ、にぎる鮨職人は、100年以上、
磨き上げられた技を持っている。

比べる方が、間違っているのだろう。

がっかりするのはわかっているから、
にぎりや刺身は海外では食べるのを
やめようかしら。
これで、安くもないのだし。

さて。

もう一つ。

中国、あるいは、中国人のこと。

昨年のフォーシーズンズにも随分と見かけたのだが、
今回も、彼らはいた。

10月の1週はちょうど、国慶節で休み、
ということもあったらしい。

例の日本人のスタッフに聞いてみたら、
なんでも、ここは、中国からのお客は、
今までコントロールしていた、ともいう。

さすがに、そうもいかなくなったのと、
オフシーズンでもあり、中国人でも少しゆるめて、入れた
ようである。

その方も、いっていたが、彼らのマナーの
わるさは、有名のようであった。

大人数できて、お洒落な静かなレストランで
大声を上げた大宴会をおっぱじめる。
子供は食べ散らかし、走り回る。

彼らも、段々に、変わっていくのであろうか。

中国関連で、もう一つ、おもしろいものを見た。
それは、帰り道、スリランカへ寄った時のこと。

コロンボで12時間ほど時間があり、市内観光が
付いていたのである。

スリランカでの中国の扱いには驚いた。

中国が寄贈をしたという真新しい国際会議場を見せられ、
海に近い中心地には、中国国旗とスリランカ国旗が
沢山ともに並べられ(例のクロスさせて電柱などに
掲げられているあれ、で、ある。)、中国の要人でもきているのかと思うと、
そこに、中国から贈られた、という、ピカピカのブルドーザーや
シャベルカーが、麗々しく並べられていた。

中国は、インド対抗という目的と、
シーレーン防衛という意味で、インド洋の、
インド以外の国に彼らの軍艦が寄港できる拠点港、
もっと言いえば、軍港を作りたいのであろう。

それで、スリランカにも港を贈り、会議場を贈り、
建機を贈っているのである。

スリランカでも、中国人の観光客を多く見たが、
「ああ、そういうことなら、彼らは、ここでは、
威張っててもいいのか、、、」と、妙に納得。

スリランカという国は、同じ東洋の小さな島国で、
かつ、仏教国ということもあり、どちらかといえば、
歴史的に親日国であったはず。

そんなことは、今は昔。

こうして、遊びとはいえ、海外に出てみると
世界での中国の存在感がどんどんと大きくなっているのを
まざまざと見せつけられて、驚くことしきりであった。

彼らはどこまで行くのか。
それに対して、我々日本は、どうしていくのか。

清朝の末期、アヘン戦争の頃、であろうか、
彼らは、眠れる獅子、などと呼ばれていた。
それが、百数十年たって、今やっと目を覚ました。
そういうことか。

我が国など及びもつかぬほど、でかい国土と、
国民を抱えている。
喧嘩にならない。




と、いうことで、
モルディブ行き、全巻の読み切り、で、ある。





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