断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き 9月

その1

9月17日(土)

さて。

9月の『講座』。
人形町、で、ある。

下町歩き、というタイトルで、人形町は、
まあ、順当なところではあろう。
しかし、人形町は初めて、である。

理由は、会食場所。
池波先生が通ったところ、で会食をするのが
テーマではあるのだが、人形町にはそれがない。

実際には、池波先生は兜町でも働いてもいたし、
一度もきていなかったとは考えずらい。
しかし、理由はわからぬが、少なくとも、
エッセイその他にほとんど書かれていない。

いや、一軒だけある。
浜町藪。
だが、蕎麦やは、毎度書いているが、この講座では
いけない。人数が多すぎる。

と、いうことで、店の縛りは外し、
お座敷洋食の、芳味亭に。

集合は、都営新宿線の浜町駅。
明治座そばの、浜町公園の細長いところ。



またまた、暑くなっている。

先月は、8月であるが、曇り空で救われた。
しかし、先週の『落語散策』もそうであったが、
暑い町歩き、で、ある。

今日の着物は、阿波しじら織というちょいと
縮のような、藍色の一重。
羽織は黒の絽。
白足袋に雪駄。

タクシーで向かう。
元浅草からは遠いように思われるかもしれぬが、
2000円はかからない。

さて。

人形町というのは、まあ、ご存知のように、
さほど広くはない。

歩くコースは、同じようなところを
行ったりきたりというような恰好にはなる。

浜町駅の出口のある浜町公園。

すぐ隣には、明治座、が、ある。

私などには、最近は歌舞伎を少し
観るようになったが、まあ、まず縁はない。

今は、小林幸子講演。

最近はよく芸能人の座長公演をやっている。

そういうところなのかというと、実はもともとは、
そうではない。
池波先生との縁も深く、先生が脚本を書き、演出もしていた
新国劇はここがフランチャイズといってもよかった。

さらに、もっと以前。

明治の頃は、歌舞伎座と覇を競うほどの地位で、
歌舞伎興行の劇場であった。

明治座の歴史は、明治初年、喜昇座という小屋に
さかのぼる。当時の場所は、今の場所ではなく、
浜町掘のそば。町名は久松町で、ちょうど今の久松警察の
前あたり。

喜昇座のもとは、西両国の菰張小屋で、
格としては、二流三流の芝居であった。
これが明治になり、新政府から西両国は
“市街体面上見苦しい”との理由で取り払いを命じられ
当地に移ったという。

その後、上方から役者を呼ぶなどして段々に
メジャーになり、1893年(明治26年)
初代市川左團次が千歳座を買収して座元となり、
明治座と改称。

これが、一大転機。

歌舞伎を知らない方も、団菊左、という名前くらいは、
聞いたことがあるかもしれない。
市川團十郎、尾上菊五郎、市川左團次の三人は
毎時の歌舞伎界の大スター。

左團次が座長で菊五郎、團十郎が出るとあれば、
お客が集まるのはもっともなこと。

震災で被災、その後、現在の場所に移転。
戦争を経て、戦後、料亭「玄冶店 濱田家」代表の三田政吉氏の
経営になり、1993年に再開発で建て替え竣工した
浜町センタービル(賃貸オフィスビル)の低層部に
今は、劇場を構える形態となっている。

その中で、戦後は、新国劇がかかり、
池波先生との縁もできる。

1952年(昭和27年)、先生がまだ29歳の、
東京都目黒税務事務所に勤務している頃、
新国劇、辰巳柳太郎・島田正吾らに提供した
『檻の中』が初上演。
以来、ほぼ毎年のように明治座では新国劇が上演され、
当時座付作者といわれるほど、先生が書いたものがかけられ、
1963年(昭和38年)の『おとこ鷹』(作子母澤寛)他、
作者としてまたは演出家として毎回足を運んでいた。

私は辰巳柳太郎、島田正吾はTVに出演しているのは
見たことがある程度で、むろん新国劇は
観たことはない。

まあ、解散したのが1987年で私は当時24歳。
観るような年齢ではなかったが。

ちょいと調べたら、新国劇の後継にあたる若獅子という
劇団があり、今も講演をしているよう。
(11月、三越劇場である。)

一度、観に行ってみようかしら。




続く。








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