断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き 9月

その5

9月17日(土)

さて。

今週も、『下町歩き講座9月・人形町』の続き。

水天宮まで歩いてきた。。






ここからまた、甘酒横丁まで戻る。

甘酒横丁を左に曲がり、小春軒もすぎて真っ直ぐいくと、
信号があり、角、右側に、粕漬けの魚久の本店。

この先、左側の工事現場。
これは、この前まで東京穀物商品取引所であったところ。
立派な建物があったのだが、今はマンションになるらしい。

穀物商品取引所といえば、最近、米の先物取引が
始まったというニュースをご記憶の方もあるかもしれない。
それである。

穀物取引所はこの3月でここからもほど近い堀留町へ
移転している。

下の明治の地図をご覧いただきたい。
「米穀取引所」というのがあるのがわかるだろう。
これがここ、である。
明治からここに取引所があったのである。

米の先物取引は享保15年(1730年)大坂堂島米会所で始まった。
これは世界初の先物取引であるという。

私なんぞは、金融や商品取引については、
まったく知識はない、いや、むしろ苦手で、
先物取引、商品相場というと、例えば、
小豆相場に手を出して、破産した、なんという
イメージしかない。

しかしながら、本来先物取引は、将来の価格変動リスクを
抑えるという機能があり、経済においては必要不可欠な
取引であるという。(他にも先物取引には、様々な機能があるいうが。)

そんな先物取引が初めて行われたのが
日本であったというのは、なかなか、我が国も
捨てたものではなかろう。

当時、米の取引の中心は江戸ではなく、
大坂であったので、最初に行われたのが大坂であった
と、いうことである。

江戸では大坂より少し遅れて小網町、小舟町、などで
取引が行われるようになった。

明治に入り、1874年(明治7年)、米の先物取引のために
設立された中外商行会社というものを祖として、
蛎殻町米会所、東京米商会所、東京米穀取引所と変遷し、
1908年(明治41年)に東京米穀商品取引所になった。

戦中、統制経済のなかで中断するが、
1952年(昭和27年)に農産物の先物取引を行う取引所として
新たに設立され、戦前の東京米穀商品取引所の建物で
取引を再開した。

で、今年3月までここで取引が行われていた、のである。

さてさて。

明治以降の人形町の街の雰囲気を決定したものの
一つは、やはり、この取引所であろう。

また、日本橋川をはさんで向こう側の、兜町。
ご存知の東証、東京証券取引所がある。
池波先生も若き頃、茅場町の株屋で、働いていた。

人形町は金の匂いの好きな人の集まる街?!。

まま、すべての人が、そうではなかろうが、
そんな側面も否定できなかろう。

あとでもう一度触れるが、人形町といえば、
芳町の花柳界。これもそうした人々を上客として
栄えたということである。

さて。

穀物取引所跡の建設現場から、右に折れる。

右側に日本橋小学校。
次の路地を左。

と、右側。
ビルの狭間に、古い社(やしろ)がある。

これは小網神社。
この界隈の氏神様。
(本祭りは5年に1度。江戸期からの飾り祭の伝統を受け継ぎ、
二之宮の神輿は弁財天を描いた華やかなもの。)

社伝によれば、室町時代、1466年(文正元年)鎮座で、
大田道灌の保護を受けたといい、古い。

昭和初期までは、小網稲荷といってお稲荷さん。
埋め立てられた東堀留川の河岸地にあり、
現在の社殿等は、関東大震災後の昭和4年に造営されたものという。

社殿は、小さいが見るからに、立派なもの。

神社建築として伝統的な意匠を備えたものといい、
素人目にも彫刻がすばらしい。
昇り龍、降り龍、獅子、ばく、鳳凰等々だそう。
中央区の区民有形文化財。

この神社には、最近は、こんな話題もある。
戦中、ここで祈願をした者は多く無事帰還したとのことで、
強運厄除けのパワースポットとして人気らしい。

また、弁天様(万福舟乗弁財天)もあり、
東京の銭洗弁天としても有名。
毎年10/28が弁天様のお祭りで「銭洗いの井」で
金銭などを清めてくれる。
また、新嘗祭の行事として11/23のどぶろく祭も有名。
参拝者にどぶろくがふるまわれる。

ほんの小さな境内だが、有難味が
詰まっている氏神様、で、ある。

ここでまた、小休止。

手を洗い、汗だくの私は、
顔も洗わせていただき、お参り。
日陰に入れば、風もあり、気持ちがよい。

銭洗い弁天ということで、
お金を洗っている人もいる。
水盤舎とは別に、お金を洗う水場も、
脇にちゃんとある。


明日は、西郷隆盛屋敷跡と、芝居町のこと、かな。














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