断腸亭料理日記2011

浅草落語散策 その1

9月10日(土)

さて、もう一つのNHK文化センターの『講座』、
「浅草落語散策」で、ある。

落語をテーマに町歩きをする、というもの。
今、この手の書籍や、DVDのようなものも
たくさん出ている。

とりあえず、1回限定で、こういう内容で
町歩きをしないか、というのは、
NHKさんの方からいっていただいた。

落語をテーマの町歩きであれば、
私の住んでいる地元でもある
浅草がよかろう、と、決めた。

落語に出てくる地名などは、架空のものよりも、
圧倒的に、実名、実際の場所を舞台にしたものが多い。
落語を聴いて、その舞台を歩いてみたい、というのは、
自然なことであろう。

なぜ、落語に出てくる地名は実在するところ、
なのであろうか。

落語というものは、江戸・東京の庶民の間で生まれ、
育ってきたもの。
実在のところを扱った方が、リアリティーがある。

いや、架空のものにしよう、という意識よりも
前に、実在のところで噺を作る方が、自然であったから
といった方がよいかもしれない。

落語より先に、江戸で生まれた育った文芸に、
歌舞伎芝居の脚本が、ある。

歌舞伎に出てくる地名は、架空のものも、少なくない。
例えば、ご存知の忠臣蔵などは、場所だけではなく、
時代もずらし、人の名前も変えている。

浅野内匠頭を塩冶判官、吉良上野介を高師直といった具合。

これらは実在の事件を実名で上演してはいけなかったから
で、ある。

まあ、できるのであれば、実名で演りたい、
ということであったのであろう。

池波作品はどうであろうか。

池波正太郎の書く鬼平犯科帳でも、剣客商売でも
仕掛人藤枝梅安でも、ほとんどが、実在の地名である。

これに対して、人気がある、藤沢周平などは、
同じ江戸の街を扱っても、架空のものの方が、
多いのではなかろうか。

あるいは、他の時代小説家の書くものは、
どうであろうか。

私は、最近の時代小説はあまり読んだことはなく、
TVドラマになったものぐらいしか知らないが、
めっきり架空のものの方が、多くなっているような気がする。

人物同士のドラマを扱うことに焦点をあてているのであれば、
別段、架空の地名でも、一向に構わない。
いや、現代において、実在の地名を使うことによる、
様々な弊害のことを考えれば、架空にした方が
メリットは大きい、ということかもしれない。

しかし、私などは、なぁんとなく、こういうものには、
薄っぺらさを感じてしまう、のである。

池波先生は、切絵図を片手に、東京の街を丹念に
歩きながら作品の構想を練っている。
実在の江戸の街の地名を使い、ここから、ここまで
歩くには、どのくらいの時間がかかるのか、
といったことから、計算して書かれている、
と、思われる。

落語ではどうか。

黄金餅、なんという有名な噺がある。
これなどは、実在の地名を使っていなければ、
成立しない噺である。

下谷山崎町の貧乏長屋に住む、金山寺味噌を売る金兵衛。
隣に住む、病気の願人坊主の西念。

具合が悪いようなので、金兵衛が見舞うと
あんころ餅が食いたい、という。
買ってきてやると、見ていると食べられないから、
帰ってくれ、と、金兵衛は帰されるが、気になって、
壁の穴から覗いていると、西念は、縁の下から、
胴巻きを出し、出てきたのは、大量の銭。

あんころ餅のあんこを全部なめてしまうと、
銭を餅に詰めて、のんでしまう。

が、最後に西念は餅を喉に詰まらせ、
あわてて金兵衛は駆け付けるが間に合わず、死んでしまう。

金兵衛は大家に知らせ、長屋中で通夜をし、
その晩のうちに、寺まで、運ぶことになる。

西念も身寄りがないので、金兵衛の菩提寺である
麻布の寺へ葬るとこにした。

そして、長屋中で、麻布まで、行列をなして
運ぶのである。

噺の見せ場はここで、下谷の山崎町から、上野山下
今の上野駅、上野広小路、中央通り経由で、
神田、日本橋、京橋、銀座、新橋、右に曲がって、
虎の門、愛宕下、天現寺、神谷町、飯倉、
麻布の永坂を降りて、、、
という、長い実在の地名を言い立てていく。

黄金餅から、この部分を取ってしまっても
まあ、ドラマとすれば、成立するのであろうが、
江戸東京を舞台にした落語とすれば、やはり、
おもしろさ、たのしさは、半減以下、で、あろう。

「浅草落語散策」の前置きとして、
長々と、書いてしまったが、落語は
(いや時代小説などもそうだと思うが)
実在する江戸東京の街を抜きにしては、考えられない。

ローカル色豊だからこそ、そこに住み暮らす
人々の生の姿を描いき、親しまれたわけで、
そこに、価値がある。

あるいは逆に、こうもいえる。

東京という大都市には、300年、400年という歴史があり、
人々が営々と、笑い、泣き、飲み、食い、生活をしてきた。

落語というものはその証(あかし)であり、現代に伝えている
稀有な作品群であると思うのである。







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