断腸亭料理日記2012

隅田川花見 その2

隅田川の花見。

吾妻橋スタートで、浅草側を通り、言問橋を渡る。
向島側の土手を歩いて、桜橋まで来た。


高速の下を通り、土手から降りて、長命寺桜餅。
桜の葉っぱで巻いた桜餅の元祖。(享保二年創業)


買おうと思ったが、これもすごい行列。

墨堤通りは右に折れ、信号。


桜はここまで。

向こう側に渡って、引き返し、言問団子。



花の雲言問団子桜餅 子規


(以下、昨日同様、すべて子規の句。)

言問団子の、言問、は、むろん、先日書いた伊勢物語の
業平伝説に由来しているが、幕末から明治初期にこの店が
最初に名乗った、という。
その後に、言問橋ができており、店の名前の方が先。


再び桜橋に戻る。
ここは、以前の渡し場、竹屋の渡、のあった場所。

同じ人も乗らで花見の渡し舟


(桜橋の袂)



お姐さんは、こちら↑。

『向島墨堤組合』が向島花柳界(花街)の正式名称。

竹屋の渡、は、落語にも出てくる。
例えば、先代文楽師の『船徳』。

勘当中の若旦那で素人船頭になった、徳さんがお客を乗せて

「竹屋のおいさ〜ん」と声を掛ける。

「徳さん一人か〜い?大丈夫か〜〜い?」

なんという。

浅草側は山谷堀の入口から出て、長命寺の前あたりに
渡していた。向島へちょいと、遊びに行く、なんという時、
この渡し舟を使った。

桜橋を浅草方向へ渡る。


(やっぱり少し、右に傾いているように見える。)

この渡った左側が山谷堀の跡。

吉原へいくのに、舟でいく場合隅田川を登って、ここから、山谷堀に入り、
日本堤、大門前まで、ダイレクトにいけたのである。

そうそう、吉原も、江戸随一の桜の名所だった。


吉原や雨の夜桜蛇目傘


子規先生もこんな句を詠んでいた。

歌舞伎などの吉原の場面も、中之町の両側にずらっと、
桜が描かれている書割である。

不夜城吉原であるから、夜桜、の名所、ということでもある。

ただし、実際には、吉原には、桜はなく、桜花(はな)の季節に
開花した木を、わざわざ持ってきて植え、終わるとまた
別の場所に植え替えていた。
面倒なことをしていたのだが、演出のためには労を惜しまなかった、
ということであろう。

ともあれ。

今、山谷堀はとうに暗渠で、水門の口だけが、ここにある。
その、山谷堀河口跡のここのスペース。
今、昨年から今年の5月まで、平成中村座が開演中。
仮設だが立派な小屋が建っている。

4月は法界坊。

隅田川側から見ると、わかるのだが(ネタバレだが)
実は、この舞台は、背景がオープンになる。
私は、数年前、浅草寺境内で開かれたのを見たことがある。

芝居のクライマックス。
舞台は、お話の中でも、実際に、この場所。
山谷堀の入口。後ろに、待乳山聖天の小高い山が見える。
芝居ではこれ以外にも数多くここは使われている場所。

まあ、明治ぐらいまでは、まったく芝居の舞台や絵になるような、
景色であったのである。

しかし、今、土手はコンクリートで固められ、向島側は
上を首都高向島線が高架で走り、面影はまるでない。

ここの景色は紛れもなく江戸固有の歴史的風物であり、
私達の大切な文化財である。

今からでも遅くはない。(いや、今だからこそ)
日本橋頭上の首都高同様、ここも邪魔。もうよいであろう。
首都高は地下化。ついでに、山谷堀もきれいにして復活!。
真剣に考えようではないか。

ともあれ。


広重の江戸名所百景「真乳山山谷堀夜景」。
桜花の季節ではないが、夜、向島側から山谷堀、その向こうの
待乳山をみたところ。お姐さんは向島のお姐さんであろうか。
(と、いうことは、江戸の頃から既に向島にも芸者さんはいた、
という証拠になろうか。)
芝居では向島側からのこのカットが多い。


こっちは二代広重で墨田川八景『待乳山晴嵐』。
反対に待乳山(浅草)側から隅田川をみている。
見えている橋は、山谷堀の隅田川から一本目の、今戸橋。

今、その欄干だけが残っている今戸橋跡を通って、
平成中村座の表の入口にまわってみる。


このあたりも、花盛り。

山谷堀跡もここから先両側、桜並木、で、ある。


と、いうことで、花見はここまでで、終了。

お疲れ様でした。


内儀(かみ)さんとともに、花川戸の
元祖10円鮨、魚がし寿司に寄って、鮨をつまんで
一杯やる。







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