断腸亭料理日記2012

箱根塔之澤・福住楼 その2

12月22日(土)

引き続き、箱根塔ノ沢の福住楼。

昨日は今回泊まった、早川沿いの
櫻の五、という部屋の中のこと。

部屋の外。


階段があって、その右側、外の見える窓。
この窓の形。
あるいは、突き当りの天井の下にある欄間のような
ところの桟の意匠。
あるいは、階段の手すり。
なかなか、なかろう。

この今残っている、福住楼の建物が建てられたのは
主として、明治終わりから昭和初期。

この頃というのは、こうしたいわゆる数寄屋造り、
というのは、お金のある人の屋敷、
あるいは、福住楼のような旅館、料亭、
そういったところで、多く使われていた、という。

元来、数寄屋造り、というのは、ご存知の通り、
室町時代から書院造りをベースに安土桃山の
茶の湯などの洗練を経て、江戸初期の京都で
ある程度の完成をみた、といってよいのか。
(桂離宮やら、修学院離宮など。)

江戸期は、武家、貴族などの茶室から、住宅へ。

明治維新以降、こうした技術を持つ大工職人は
京都から全国へ広がり、技術も進んだという。

これは、江戸期の大名などの特権階級は消滅し、
これに代わって、維新後の施主は、新政府のお偉方と政商と
いうようなことになるのだが、それでも裾野は大いに
広がっていったということなのであろう。

そして、明治終わりから、昭和初期にかけて、
技術、品質ともに最も高くなり、また広まったとのこと。

この福住楼もその中の一つ、ということなのであろう。

それにしても、数寄屋造りの隆盛はむしろ江戸期ではなく、
明治以降というのは、今から考えると、多少意外ではある。

しかし、今、福住楼のような意匠を作れる大工さんなど、
捜しても京都あたりにしかいなかろう。
また、木材など材料もほとんどないか、
あっても目が飛び出るほど、高価なのであろう。

残念ながら、数寄屋造りは戦後高度経済成長とともに、
急速に一般からは見えないところへいってしまい、
保存文化財としてしか存在しなくなった、のか。

閑話休題。

ここは三階。

当時、木造の三階建て、というのは、珍しいもの。
今では、当時のものは、探してもなかなかなかろう。

それがそのまま、現役で残っているというのも
やはり、希少といってよかろう。

階段。

床も階段の手すりもきれいに磨き上げられている。

この福住楼というのは、こうして写真を観ていただいても
おわかりになろうが、全体が小づくり。
だだっ広くない。
(その上、手が込んでいる。)

小づくりで、重々しくなく、洒脱。

これが私の肌に合い、落ち着く、のである。

もう一つ、上の写真で、階段を降りた突き当り。これは、厠の扉。

引き戸、で、あるが、この木の色目が違うのを
使った市松模様の意匠もまた、
トイレのトビラとは思えないではないか。


風呂も出しておこう。

ここのメイン。
丸風呂。

箱根らしく、熱い。

さて。

夕飯。


真ん中、塗りのお盆の上、酒肴。

左下、甘辛の焼穴子。
レンゲ、蟹と隠元、酢味噌。
右側、銀杏とからすみ。

からすみは自家製なのか、柔らか目の半生。

上、子持ち昆布。

お盆の外、上の小鉢、河豚皮酢の物。

右側、お造り。

左から、カンパチ、その上、鯛。

右、大葉の上、マグロ赤身と、中トロ。

上、ぼたん海老。

右下、平目。

左、鍋は豆乳鍋。

豚肉と野菜類。

焼き物と汁。


焼き物は、鰤の照焼き。
上に甘酢のおろし、はじかみ、蒟蒻、あんず。

汁は大きな蛤。

揚げ物、煮ものとご飯。


揚げ物は箸をつけてしまったが、白身魚(ぎんだら、であったか)の
から揚げにあんかけ。

煮ものは、ごぼう、里芋、人参、麩、湯葉、春菊。

太いごぼうは京都の堀川ごぼう、色鮮やかな人参は同じく金時人参か。

煮ものに限らないのだが、全体的に、味付けが薄目。
特に、煮ものは京風ということなのか、薄味だが、あまめ。


全体を通して、昨年あるいは、それ以前と比べると、
若干、力の入り方が違うような気がするが、気のせいか。

 


明日につづく。




福住楼






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