断腸亭料理日記2012

快楽亭ブラック著

『立川談志の正体』 その1

今日は、少し、落語の話。

それも、ちょっとマニアックな話、かも知れない。

先頃出版された、表題の快楽亭ブラック著『立川談志の正体』



で、ある。

結論からいうと、随分とおもしろかった。
おもしろかったのだが、内儀(かみ)さんに話したら
そうとうマニアックだよね、とのこと。

毎度、悩むのだが、この文章を書くときに、
どのへんの方をターゲットにするのか、
ということ。

いや、その前に、この文章は、どんな知見があって、
年齢はいくつくらいで、性別は、、などなど、どんな方
に読んでいただいているのか、ということである。

内容によっても多少違っている。

自分の作った料理、については、そのままのことなので
読んでくださる方の予備知識はあまり想定しなくともよいのか。

外での食事、飲食店のこと。
普通に営業をしている店なので、これもある程度一般的なことと、
いってよかろう。
また、ほぼ東京、それも下町周辺に限られているので、
地方にお住まいだったり、こうしたことに興味のない方は
最初から読まぬであろうから、あまり予備知識は関係ないだろう。

池波先生のこと。
食い物について、または作品のことについて。
これはある程度、マニアックな域に入っていると思うが、
私という男はこいう男でこういう趣味である、というのは
表明もしているので、ある程度、池波ファンの方に対して、
という積もりで、書いている。

こんな意識で書いているのだが、合っていようか。

一番の問題は、落語のこと。

私自身は、むろんプロの落語家ではないのだが、
落語に関して知っていること、それも、昔のことは、
マニアといってよいのだろう。

それに対して、上に挙げてきたような(趣味の)読者の方と
落語、というのは、あまり重なっていないのではなかろうか。

現代、リアルタイムの噺家の話題、ということになると、
また少し違って、今はある程度の落語ブームというのも
続いているのであろうし、べら棒に多くはなかろうが、
興味のある方は、ある塊でいる、のであろう。

が、おそらく、今の落語ファンの方とも、私の興味のある、
(昔のものも含めた)落語とは違っている、のかもしれない。

まあ、その前に、そうはいっても今は、私の子供の頃
などと違い、大勢からすれば、例えば、年に1度でも落語を
聞いたことがある人は、ごくごくわずか、なのであろう、
と、いうことも、頭に置かなければならなかろう。

旧臘(きゅうろう)、談志師匠が亡くなり、談志師匠のことや
落語について、少し長く、書いた。

これなども、マイナーな上に、マニアックな話、ということに
なっていそうな気もする。

そんなことなのだが、表題の快楽亭ブラック著『立川談志の正体』は
とにかくおもしろかったので、落語に不案内の方にも、
できるだけわかりやすく、書いてみたい。

まず簡単に本の内容を説明すると、
談志師匠の死後、弟子である(あった)快楽亭ブラック師が
書いた、談志家元の思い出話、というもの。

こうまとめてしまうと、誠に簡単なのだが、
ブラック師、そんな生やさしい存在ではない。
(まあ、そこがおもしろいのだが。)

ところで、快楽亭ブラック、という落語家をご存知の方は
どのくらいおられようか。

ウィキペディア

よくもわるくも、落語界において異端児であった、
立川談志という落語家。
そこにいた弟子の中でも最も異端児らしいのが
このブラック師匠といってよかろう。
(と、いうことはそうとうな異端児?!)

映画評論、コラムなども書いているので、ひょっとすると
そっちでご存知の方もあるかもしれない。

そもそも、談志の弟子なのに、立川ではないのは
奇異に思われるかもしれない。

快楽亭ブラック師匠は1952年生まれで、今年60歳。
お母さんは日本人で、お父さんは米国人のハーフ。
金髪の落語家。

快楽亭ブラックという名前は、でっち上げの名前ではなく、
実は先代がいるのである。
初代は明治から大正の頃、実際に活躍をしていたイギリス人の落語家。
当代のブラック師は、二代目ということになる。

ハーフなのだが、当代ブラック師は日本国籍の日本人。
英語は、おそらく、喋れない。

談志に入門し、名人といわれた古今亭志ん生師が、
16回改名をしたのに倣(なら)い、洒落半分で16回改名をしている。
そして、真打昇進を機に、過去の外国人落語家の名前である、
快楽亭ブラックを名乗っている。(師匠と同じ苗字
(亭号というが(ブラック師の場合、立川))を名乗らず、
過去の名跡(有名な名前)をもらうことも、まま、
あることではある。)

この経歴だけでも、そうとうヘン、いや、
おもしろい人である。

ところで。

皆さんは東京に落語家という人が
どのくらいいるのか、ご存知であろうか。

落語協会と落語芸術協会合わせて、
なんと、405人。

これから前座、二つ目を除いて、
いわゆるトリが取れる真打といわれる人でも、
261人もいる。
(細かい説明は省くが談志一門と円楽一門は
協会に属していないのでこの数字には入っていない。
入れても、プラス数十人である。)

おそらく、驚かれよう。
こんなにいるのである。

このうち、TVに出ている、お客が呼べる、売れている、
といえるのは、ほんのわずか。
落語ファンでなく普通の人でならば、
おそらく、今、落語家で名前がいえるのは
5人もいなかろう。

落語家として名前が知られていないのに、
落語家として、そこそこ飯が食えている。
不思議といえば不思議、である。

落語家でございます、といえば、様々な司会やら、
いわゆる営業というもの、などなどで、ある程度食える。
これは伝統芸としての落語家だから、という側面であろう。
この点、コントやら漫才やら、他の芸人さんと比べると
恵まれている、かもしれない。

ともあれ。

そんな東京の落語家事情なのである。
これを考えれば、ブラック師は、映画評もするし
本も出す、といった具合で、まだ知られている方、
と、いってもよいのかもしれない。

長くなった。

背景の説明で終わってしまったが、
今日はここまで。

また明日。




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