断腸亭料理日記2012

国立劇場・塩原多助一代記 その1

10月8日(月)

さて。

連休三日目。

今日は、歌舞伎見物。

先月は、新橋演舞場に菅原伝授手習鑑を観に行ったが
今回は、国立劇場で塩原多助一代記。

今回もまた、休み前に急に調べて行くことにした。

国立は、今年の正月、「三人吉三巴白浪
(さんにんきちさともえのしらなみ)」
の通しを
観ている。

今回も、通し。

通し、というのは、松竹のやる新橋演舞場などの
一般に人気のある幕だけを上演するものと違い、
原作通り、というのか、初演された台本を頭から
終わりまで、つまり序幕から大詰まで、その通りに上演(や)る。

人気のある幕だけやる、というのは、まあ、知っている人には
よいのだが、私のような歌舞伎素人にはとてもわかりずらい。
人気はあるのだろうが、そもそもが複雑なストーリーがあるものを
一幕だけみせられてもさっぱりわからん、ということになるのである。

その狂言(演目)のよさを理解するためには、
やはり通しで観た方がよい。
また、私のように、半分勉強のために観ている人間には、
原作、あるいは、初演時の姿を理解することも重要で、
そうなると、やはりどうしても通しで観たい、ということになる
のである。

さて。

塩原多助一代記。

塩原太助、という人はご存知であろうか。

戦前の教育を受けている人(そんな方は、この文章を読んでいただいて
いなかろうが。)は、まあ、ご存知であろう。

なんたって、修身(今の道徳)の教科書に載っていたという人。

あるいは、墨田区にお住まいの方は、ご存知かもしれない。

そう。「本所に過ぎたるものが二つあり 津軽大名 炭屋塩原」
と詠われた有名人。

本所、墨田区では、勝海舟の次に有名であった人。
(これは過去形。今は、北斎が勝先生の次か。)

ついでにいうと、津軽大名、は、津軽家弘前藩のこと。
本所というところは、旗本御家人の屋敷が主で、大名の屋敷は
下屋敷ばかりで上屋敷は皆無。唯一、津軽家だけが
上屋敷であった、ということである。

江戸後期の立志伝中の人物。
田舎から出てきて、江戸で大成功をした実在の人。
(作品名は助で実在の人物名は助)

そして、明治大正、戦前と、庶民が皆知っていた
人物、と、いうことである。

今、両国の南の竪川に、近くに塩原太助の家があったことを記念して
塩原橋という橋の名前に残っている。

さて。
この「塩原多助一代記」という演目は、本来は
歌舞伎ではなく、落語家の喋る噺(はなし)、で、あった。

落語ファンの方であれば、名前くらいはある程度ご存知であろう。
あの、大圓朝、三遊亭圓朝師の、明治11年(1878年)の口演が、最初。
まあ、圓朝作といってよいのであろう。

そして、歌舞伎としての初演は、明治25年(1892年)。
脚本は三世河竹新七。

あの黙阿弥翁は二世新七で、三世は二世の弟子。
(代表作は他に『籠釣瓶花街酔醒』など。)
ちなみに、黙阿弥翁はこの初演の翌年亡くなっている。

ここで、プログラムを書き写しておく。

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平成24年度(第67回)文化庁芸術祭主催


三遊亭円朝=口演
三世河竹新七=作
国立劇場文芸課=補綴
通し狂言塩原多助一代記(しおばらたすけいちだいき) 六幕十一場
                                           国立劇場美術係=美術

       
   序  幕         上州数坂峠谷間の場   
   二幕目  第一場   下新田塩原宅門前の場
         第二場   同 奥座敷の場
         第三場   沼田在田圃道の場
         第四場   同 庚申塚の場
   三幕目  第一場   横堀村地蔵堂の場
         第二場   同 裏手の場
   四幕目         神田佐久間町山口屋店先の場
   五幕目         昌平橋内戸田家中塩原宅の場
   大 詰  第一場   本所四ッ目茶店の場
         第二場   相生町炭屋店の場


(出演)
 坂 東 三津五郎
 中 村 橋 之 助
 中 村 錦 之 助
 片 岡 孝 太 郎
 中 村 松   江
 坂 東 巳 之 助
 中 村 玉 太 郎
 上 村 吉   弥
 河原崎 権 十 郎
 坂 東 秀   調
 市 村 萬 次 郎
 市 川 團   蔵
 中 村 東   蔵
            ほか

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ついでに、むろん明治のものだが、浮世絵も出しておく。

「梅幸百種之内」「塩原太助」「三遊亭円朝」
明治26年豊原国周

ちょっとこの絵、おもしろい。
原作者である圓朝師の絵も一緒に描かれている。

もともとが、落語の噺であった、と書いたが、落語をご存知でない方のために
ちょっと説明をしなくてはならない。
今、一般に演じられている、長くても15分か20分の
大方は落ちがあって、おもしろい話が落語であろう。

実際にはこれ以外にも以前は、いろんな形の噺があった。

今もある程度残っているが、人情噺、といわれているもの。
談志家元の代表作ともいわれる「芝濱」、あるいは「文七元結」、
「紺屋高尾」。このあたりであれば、今もよく演じられるので、
聴かれたことがある方もあるかもしれぬ。

詳しくは、こちらを↓。

断腸亭落語案内

人情噺は長い噺だが、30分から1時間以内。

今日の「塩原多助」などは、もっともっと、長い。
こうなると、一日で演ずるのではなく、1週間連続で、
毎日演る。あるいは、いいところだけ抜き出して、演る。

やはり圓朝作だが、怪談噺、『真景累ヶ淵』(しんけいかさねがふち)、
『牡丹灯篭』(ぼたんどうろう)なんというところが、
有名どころで、長い噺の代表例であろう。

「塩原多助」の方は、必ずしも怪談ではないので、長い続き物の
人情噺、ということになるのであろう。

今、音として残っているのは、志ん生師、あたり。

 


 

長くなった。
つづきは、また来週。

 

 

国立劇場


 

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