断腸亭料理日記2012

国立劇場・塩原多助一代記 その3

歌舞伎『塩原多助一代記』。

この芝居、どう理解したらよいのか。

いや、芝居、と、いうよりは、圓朝師の
人情噺、と、いった方が、適切なのかもしれない。

明治の時代、この人情噺と歌舞伎芝居のお蔭で、
修身の教科書に載るほどの美談として認識され、
東京はおろか日本中に知らない人はいない、
というものになっていた、ということ。

単に、歌舞伎、落語の演目というだけでなく、
この事実は掘り下げてみる必要があろう。

継母(ままはは)のいじめに耐えかね、
いつかは戻り、家を再興しようと念じ、
故郷を捨て、つてもなく、無一文で江戸へ出る。
江戸へ出て、神田佐久間町の炭問屋に拾われ、
奉公を始める。炭俵を担いで、陰日向なく、
身を粉にして働く。

そして、その働きが主人に認められ、
暖簾分けを許され、本所相生町に同業の炭屋を開く。
しかし、一家の主となっても自らも炭俵を担いで働く。

「金というものは貯めていては貯まらない、
金は働かせれば(つまり投資をすれば)
増えて帰ってくる」なんという台詞も出てくるが
いわゆる商才もあったのであろう。

間もなく、本所でも名の通った、炭屋となる、
という、出世美談。

最初に書いたが、やはり今でも、ある程度
通用しそうな噺、で、はある。

だが、多助自身は、江戸時代の人だが、実際に、
江戸時代に初演された演目にはここまであからさまな
庶民のサクセスストーリーというのはあまりないように
思われる。

これはやはり、明治という時代背景があってこそ、
このような作品が生まれ、支持された、
ということを考えずにはおられない。

基本、江戸の頃は身分制度で固定され、がんばれば
成功する、ということは、大多数の庶民には
リアリティーはなかったのであろう。

明治になり、文明開化から、世界の一等国への仲間入りを
目指していた頃。
誰もが正直に働けば、出世ができる、明るい未来がある、
と考えていた頃、だからのものなのであろう。

それで、この時代の、上から下までに支持された。

では、がんばるにしても、なにが大事といっているのか。

もう少し掘り下げるために、芝居の脚本だけではなく、
原作である、圓朝師の噺の速記も紐解(ひもと)いてみた。

長い噺の最後に、圓朝師はこんな風に締めくくっている。

「正直と勉強の二つが資本(もとで)でありますから、

皆様能(よ)く此の話を味(あじわ)って、只一通りの人情話と

お聞取りなされぬように願います。」

と。

『正直と勉強の二つが資本』。

なるほど。

現代ではどうであろうか。

少し前に、金儲け、わるいことですか?と、言った人がいた。

法に触れなければ、金儲けのためには、知恵を働かせて(勉強し)、
なんでもする、そういう価値観もまたある。
(いや、皆、表立っては言わないが、企業などは
基本そういう価値観なのではなかろうか。)

だが、この時代にはまだ商売をするにしても、
『正直』に、義理にも厚く、人には情け深く、
なんという規範が確かに存在をしており、そうあるべきと、
皆がある程度共通認識を持てた、のである。

社会全体が未来を向いていたであろうし、
金儲けは、わるいことではなく、出世は皆が目指すこと
ではあるが、そこには自ずから、規範は必要である、と。

この規範は、現代のコンプライアンス=法令順守、ではない
ところが、ポイントかもしれない。

そう。

書きながら思い出したのだが、
落語で『ちきり伊勢屋』という噺がある。
内容から人情噺とはいわなそうだが、1時間超の長編ものである。

私の好きな噺。圓生師の音が有名であろう。


これは二代目小さん師(禽語楼小さん)の頃のようなので
圓朝師の『多助』とほぼ同時代といってよかろう。

これも、ある商家の、ある種の成功談ではあるが、随分と
ひねってあっておもしろい。

今の“規範”の中身を別な言葉でいっている。

とてもおもしろい噺なので、余談ながら、ちょっと長いが、
かいつまんで書いてみたい。

のだが、、、

あまりに長いので、明日へ続けよう。



 

 

国立劇場


 



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