断腸亭料理日記2013

上野公園、13年夏 その3

さて。

今日も昨日のつづき。

修復が終わりつつある、上野東照宮。

なにか、くどくどと書いているようだが、上野東照宮というのは
現代の東京ではとても数少ない大切なものだと思っているからで、ある。

上野の山のこんな身近なところに400年近く前の
いわば歴史の生き証人といえるようなものが、ちゃんと
残っているというのが、意外に知られていないと思うのである。

台東区、いや東京の子供達には是非、見にきてほしい。

これは江戸、東京の歴史であるし、かつ江戸初期の
我が国の表舞台の歴史である。
昨日の大鳥居にしても、それが実際に形として残り、
現代人にも読める文字として、そこにある、ということなのである。

さて。


門と塀の前に、左右対象に銅の灯篭が並んでいる。
この灯篭の名(めい)も見てみたい。

この上野東照宮が建てられたのは慶安4年(1651年)。

日本史の勉強をされた方であればご記憶にあるかもしれぬが
農民に対して心得を定めた「慶安のお触書」なんというのが
発布された頃。
将軍は家光。

お気付きかもしれぬが、昨日の鳥居が寛永10年(1633年)で
この東照宮よりも古い。

これは、今のこの社殿などが建てられる以前から上野東照宮は
建てられており、大鳥居はその時からのものだから。
(最初の創建は藤堂高虎。当時、高虎の屋敷は上野の山にあり
自分の屋敷内に建てたのである。高虎に家康が遺言をしたとも
いわれている。)

で、この灯篭。

全部で48基で、重要文化財。
灯篭は2基でセット、一対なので、24対(つい)
ということで、24人(家)から贈られているということになる。

昨日の鳥居同様、奉納した日付が楷書で彫られているので
今見ても、誰がいつ、というのがわかる。

門両側は徳川御三家の尾張、紀州、水戸家のもの。


これは左側の一番手前のもの。

読めるであろうか。
上側が年月日。
下が名前である。

これは「慶安四年辛卯四月十七日」「紀伊国主従二位行源頼宣」。

昨日の酒井忠世よりも簡単になっている。

これは紀州藩初代藩主、家康の十男、徳川頼宣のことである。

紀州藩は紀伊一国が領地なので、国主(こくしゅ)ということになる。
官位は従二位。姓の徳川は記されず、氏の源に名前という配置。

同様に、尾張藩初代、家康の九男、徳川義直。
それから、水戸藩初代、同じく十一男、徳川頼房。

灯篭は写真のように今は緑青(ろくしょう)色で
文字もだいぶ読みにくくはなっているが、昨日の鳥居の文字も
そうであったが、これが400年近く前のものだとはとても
思えないほどしっかりとした文字である。

参道側には仙台伊達など、譜代、外様を含め家格順なのであろう、
ずらっと大名の名前が彫られた銅の灯篭が並んでいる。

銅製であるから、できた当初は、アカガネというが、
眩(まばゆ)いほどに光っていたのであろう。

この銅の灯篭の次には、諸大名の石の灯篭が大鳥居周辺まで
ずらっと、続いている。

多少の予備知識は必要だが、これら、一つ一つを
名前を確認しながら見ていくのはたのしい。

以前にも出したが、池波ファンであれば、ご存知、
真田伊豆守信之のものもある。
(弟の真田幸村は大坂夏の陣で滅んだが兄信之は関ヶ原から
徳川方に味方し、信之を藩祖として信州松代藩として真田家は
幕末まで存続している。)


これは参道の一番外側の門を入った社殿に向かって左側、
2〜3基目にある。

中間が擦れて読めないが、前後は紛れもなく、真田伊豆守信之と
読める。
(これらの灯篭は文化財として調査研究はされているのであろう。
どこに誰のものがあるのか、まとまっている資料があれば、
読んでみたいものである。)

江戸初期の徳川政権と諸大名の顔ぶれを誰でも見て実感できる
またとない貴重な史料であろうと思う。

そしてもう一つ。

毎度書いているが、五重塔のこと。

上野東照宮にはもともと五重塔があったのである。
いや、いまでも五重塔そのものは、ある。

どこにあるのかというと、上野動物園の敷地の中。

(寛永寺のものと一部誤解されているむきもあるようだが、
この五重塔は上野東照宮創建当時、土井利勝によって奉納された、
まぎれもなく東照宮のものである。
明治になり、神仏分離で便宜的に一時寛永寺所有であった時期が
あっただけである。)

東照宮の参道はフェンスで囲われ、その向こう側が上野動物園。
つまり、今の動物園の一部は東照宮であったということである。

東照宮は神社なのに、五重塔があるのはヘンではあるが、
そこは神仏習合していた江戸の頃のこと、そういうものである。

それが明治以降のいろんな経緯で、上野動物園に寄贈されている、
という状態が今もずっと続いているのである。

動物園の所有のというのは、あきらかに間違っている。
子供達も、なんだか意味が分からなかろう。
(いや、動物園にきた小さな子供達は五重塔など見にはいかなかろう。)

東京都はなにを考えているのであろうか。
いい加減、東照宮に戻してしかるべきであろう。

これも重文である。一体の敷地の中にあって初めて
完結した文化的、歴史的価値というものになるはずである。

ともあれ。

上野東照宮の社殿や門などの修築はもうじき終わるのであろう。

灯篭一基一基、五重塔を含めて上野東照宮は東京都に残っている
数少ない江戸初期の幕府のありようがわかる貴重な文化財であり
なにより歴史的財産である。

もっと皆さんに知ってほしいし、大切に見守ってほしい。
400年近く前にここにこういうものが建てられたということを。

きれいになって、改めてそう思う次第である。









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