断腸亭料理日記2013

野晒し その2

 二

 この日、柳治は、吾妻橋の寄席、東橋亭(とうきょうてい)で出番があった。

寄席の昼の興行、いわゆる昼席の四番目。時刻としては八つ(午後二時)頃。

小半時(こはんとき)も前に楽屋に入っていればよい。

 柳治は先ほどのお玉の話がどうも気になっていたのである。

仕事柄の野次馬根性と、おいおい述べていかなければならないが、

もう一つの理由もあって、ちょいと[大七]の“野晒し事件”の現場を

見ておきたいと思ったのである。

 朝のうちに、[大七]へ帰るお玉に、寄らせてほしいと頼んでおいた。

 昨日の冷飯(ひやめし)に茶をぶっかけ、沙魚(はぜ)の佃煮でかっ込んで、

そのまま寄席の方にまわれるように高座用の着物の入った風呂敷包を抱えて、

門跡裏の長屋を出た。

 五月(さつき)晴れのよい天気。

 浅草から向島の[大七]へは吾妻橋を渡った目と鼻の先。

まあ、近所といってもよい。紺木綿の筒袖。紺足袋に下駄履き。

職人のような形(なり)だが、普段の柳治はこんなものである。

 吾妻橋を渡って、墨堤(ぼくてい。隅田川の堤)沿いに北へいくと、

源森川に架かる枕橋があり、これを渡るとすぐに小梅の水戸様と、

ところのものが呼ぶ、水戸藩の下屋敷。その北隣に三囲稲荷(みめぐりいなり)、

牛島神社。このあたりで、大川の堤が切れて、入掘というのか水路があり、

この水路は近隣の田んぼを潤してもいる。

[大七]への入掘は正確にはこの水路から引かれている。

 このあたりは、江戸ももう郊外で[大七]のような料理屋が点在し、あとは、

のどかな田園風景。

 牛島神社の手前で土手から降りて、右へ折れ、田んぼの中の道をしばらくいくと

二軒の料理屋が隣り合わせてあり、こちらからいくと奥が[大七]。

[大七]の勝手口でお玉へ挨拶をし、さっそく“現場”を見せてもらう。

大川からの水路から分かれた[大七]専用の入掘は幅一間半ほど。葦(よし)なども

生えているが、屋根船くらいは通れるように整備してある。

[大七]の庭にそのまま入り、舟着きがあって、この家の名物の鯉を

放してある生簀や庭の池につながっている。

 むろん、そのままでは、水の行き場がない。池や生簀からは出口があり、

[大七]の敷地から出て、堀となり、最初の水路へまた戻っていく。

[大七]は客用の座敷、調理場や忠兵衛お玉夫婦の住まいや奉公人達の住む

母屋に加え、大身旗本などもお忍びで飲食にくるため、いくつかの風雅な

造りの離れ家が点在し、竹の藪などもところどころ配し、付近の田園風景

と合わせて、結構なものである。

 お玉に頼み、髑髏を見つけた若い者に“現場”を案内してももらう。

 若い者がいうには、舟着きから五、六間(10mほど)本流の水路へ

いったところにちょっとした葦の茂みがある。その脇で釣りをしていると、

釣針が葦に引っ掛かったので、かき分けてみると、根本に水につかって

その髑髏はあった、という。

 見たところ、そのあたりに特別、不審なところもない。

 その骨は、水嵩(みずかさ)が増した時に流れてきたのか、というのを

若い者に尋ねてみる。この[大七]専用の堀には。大川の水嵩が

増した時に備えて、水路からの入口に堰が設けてある。しかし、

これを閉めるのは年に一二度あるかないか。庭の池や生簀には別に

堰を設けてあり、こちらの方は、こまめに開け閉めするが、

大本の水路からの堰は、よほどの大水の時でなければ閉めることはない。

このため、ある程度水嵩が増して、流れも速くなった時に、大川や水路から

髑髏が流れてきたとしてもまあ不思議はないということであった。

 なるほど、まあ、よい。今日はこんなところで、柳治はお玉に挨拶をして

[大七]を後にする。しかし、旅の僧に、三度ある、といわれているのは、

お玉や忠兵衛[大七]にとっては大いに気になるところ、ではある。

 



つづく






   


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