断腸亭料理日記2013

野晒し その3

   三

 ここから、再び大川の土手に戻り、きた道を引き返す。

 吾妻橋を渡り返し、渡って右側に[東橋亭]という寄席はある。

噺(落語)専門というわけではないが、場所柄、お客のよく入る席で、

格としては高い方であろう。

 この五月の上席(上旬のプログラム)の昼は、柳治の師匠である、

麗々亭柳橋がトリである。その関係で弟子である柳治にも出番がある。

二つ目の噺家としては、そこそこ知られるようにはなって、そろそろ真打、

という話も出始めているが、師匠の名前抜きには[東橋亭]ほどの席に

呼んでもらえるというところまでなっていないのが、悔しいところ。

 入口はお客と一緒。木戸口を入ると、上り框(かまち)があって、

下足番の源爺さんがいる。

「おお、柳治さん。おはよう」

「おはようございます」

 源爺さんは六〇に近いのであろうか。紺の[東橋亭]の印半纏(しるしばん

てん)を引っ掛けて、髷はもう面倒だとやめて、ごま塩の坊主頭。

この人も、柳治は見たことはないが、もとは噺家だったという。

長年やっていたが、結局目が出ずに[東橋亭]の席亭に拾われた格好で、

ここの下足番をしている。

「どうだい、調子は」

「まあまあ、ですかね」

「なんだい、まあまあ、ってのは。おめえの弟弟子の鯉橋(りきょう)も

来月二つ目になるっていうじゃねえか。あいつは評判もいいし、まごまご

してると抜かれるぜ」

「はい」

源爺さんにこれをいわれると、一言もない。

弟弟子の鯉橋はまだ二十歳(はたち)で、師匠の家に住み込みだが、

来月二つ目になると独り立ちとなる。ある意味天才肌といってよいのだろう。

二つ目になって名乗る名前も師匠柳橋の前名である昔々亭桃流と決まっており

目をかけている。

 暖簾の下がった客席へ入る入口とは別に向かって左脇にお客には目立た

ないように衝立を立てた開き戸があって、これが楽屋への入口。

 細い廊下を一、二間いくとすぐに楽屋。木戸を開けると、六畳ほどの狭い部屋。

「おはようございます」

柳治が入る。楽屋にいる数人が

「おはようございます」

と、応える。

 中には、鯉橋よりも若い、十七の前座柳吉。この他には、声色(こわいろ)

音曲(おんぎょく)の柳栄斎、百眼(ひゃくまなこ*1)の三笑亭可上。

 それから三味線を弾く下座のお駒。年は十九。

 今は鯉橋が高座に上がっている。ねたは、宮戸川。初(うぶ)な若旦那と

ちょっとませた娘との色っぽいところもあるドタバタ噺だが、ちょうど

若い鯉橋には合っている。

 三味線を弾く下座は現代では噺家が高座へ上がる時の出囃子を舞台袖で

演奏するが、この頃は江戸では出囃子はなく、講談などとに同じように太鼓と

笛だけの片シャギリというもので上がっていた。

 この頃の下座は、音曲噺、芝居噺などなどお囃子の入る噺を演奏した。

現代の特に東京では噺の途中に三味線などの鳴り物を入れるものは少ないが、

この頃の下座さんはむしろ器用になんでも弾けなければならなかった。

 柳治は、型通りの黒紋付きの羽織、高座用の着物に着替えて座る。

 と、下座のお駒が話し掛けてくる。

「ねえ、柳治さん、知ってる?。

 奥山の生人形(いきにんぎょう)」

「え?なんだい、それ。見世物かい?」

「いやだ、知らないの。

 人そっくりの人形。気味が悪いくらい。

 たいそうな人気なんで、私も昨日見に行ったのよ」

 浅草の奥山というのは観音様境内の北西奥の文字通り奥山。見世物小屋や

大道芸人、床店(とこみせ、露店のこと)などが集まっている盛り場である。

 そこに出ている人そっくりの人形の見世物のようである。

そんな話しをしていると、柳治の出番。

 噺は今朝からのこともあって『野晒し』を演ってみた。

 現代では隣のご隠居の真似をし女の骨(こつ)を釣ろうと八五郎が向島へ行き、

釣りのパントマイムを交えた大騒ぎをして、下げる。だが、元来の形は

その後があって、因果応報なども絡めながら、オカマの幇間(たいこもち)の幽霊が

来てしまうというちょっとえげつない噺になる。

 そこそこ沸かすことはできた。下ネタも多くえげつないだけでなく、陰気でも

あるし、いわゆるきれいな噺ではない。しかし、柳治は意外にこの手の噺も

嫌いではない。これも噺家の芸の内である。

 降りてくると鯉橋が、

「兄(あに)さん、受けてましたね。

 でも、珍しいですね。兄さんが『野晒し』なんて」

「うん、ちょいと、演ってみたくなったんだ。

 そうだ、お駒ちゃんが見に行ったって言ってたけど、奥山の生人形って、

おめえ知ってるか」

「ああ、あたしは見てないですけど随分入ってるようですね。ここの旦那に聞いたん

ですが。なんでも、なんとかっていう西国(さいごく)の人形師のものだそうで、

上方でも人気で、いよいよ、ってんで、江戸へ乗り込んできたようです」

「いつ頃から奥山でやってんだい」

「お駒ちゃん、いつ頃だっけ」

「ああ、確か先月の終わり頃からじゃないかしら。柳治さんも見たい?」

「一度見とかなけりゃいけねえよな」

と、そこへ師匠の柳橋一人で入ってきた。

 楽屋全員で「おはようございます」の合唱。

「おお、おはよう」

 火鉢のそばのいつもの場所に陣取る。一番下の前座である柳吉がお茶を出す。

 柳橋は今年で三十七。二代目麗々亭柳橋。今、江戸では最も脂が乗っている

噺家の一人であろう。

 柳橋はねた帳をめくる。

ねた帳というのは前座が各芸人がやったねたをつけているもの。前に誰かがやった噺

はもちろん、同じ構成になっている噺もやってはいけないことになっている。

「鯉橋が『お花半七(『宮戸川』の別名)』に、柳治が『野晒し』か。めずらしいな、

柳治」

「ええ、ちょいと、演ってみたくなったんですよ。

 あたしも今朝聞いたんですが、向島の[大七]で骨(こつ)が釣れた、って」

「なんだい骨が?噺とおんなじようにか。[大七]には俺もなん度かいってるが、

おめえなんでまたそんな話しを知ってるんだ」

「いえね、あたしの長屋の隣に緒方さんってご隠居がいるんですが、その人の姪っ子さんが

[大七]の女将(おかみ)さんなんですよ」

 今朝からの[大七]の話をかいつまんで師匠に話す。

「へー。ヘンな話があるもんだな。

 だがあちらさんも、あれだけの暖簾で、客商売だ、妙な噂が立つのは困るだろうな」

「そうなんですよ」

「だけどその、坊主ってのが、どうもくさいな」

「はい」



つづく



*1百眼(ひゃくまなこ)


三笑亭可上:目の部分だけのお面のようなものを付けて

後の、百面相につながるもの。可上という人は、文化文政から

幕末まで生きていた。この頃は五十を越えたくらいだと思われる。

この画は『百眼昔ばなし』というタイトルの本の表紙。浮世絵師の

国芳。本の内容は別段、百眼についてのものではなく、川柳と

小噺をまとめたもの。







   


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