断腸亭料理日記2013

野晒し その14

引き続き、断腸亭フィクションシリーズ。


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前回

 このような実際の処分は随分あとのことになるが、裁きの方向がこんなもの

であろうという見通しを話してくれた。

 吉田与力の調べは迅速に行われ、数日で終わり、音松、三吉の兄弟は密かに

お縄になり大番屋へ送られた。調べの決定的な証拠は奥山の生人形の小屋に三

吉が作った髑髏の偽物のうち、三回目に置くことにしていたものが見つかった

ことであった。

 こうした経緯は調べが終わり、兄である吉田与力に呼ばれ聞かされた。すべ

てが内々のこと、であり[大七]へも伏せねばならなかった。

源蔵は

「お前も[大七]には早く安心をさせてやりたかろう」

「そうですよ、兄上。放っておけば、いつまでも心配しますし、三つ目が現れ

ると思ってますから」

 柳治は兄の前にでれば、自然と武士の兄と弟という関係になる。長屋に暮ら

す噺家と不思議と使い分けができている。

「そこをうまく安心できるように言ってやってほしい。よいか。すべてはなか

ったこと、だぞ」

「役人なんというのは、そんなものなのですね」

「仕方なかろう。そういうもんだ。お前だって、私にもしものことがあれば、

この吉田の家を継いでもらわねばならんのだぞ。そのへんの事情はお前も

察しろ」

「わかりました。

 まあ、私が申し上げたら早手回しに動いていただけことは恩に着ます」

「そうじゃ、いってこい、ってやつだろう」

 小さい頃からお互いに、兄弟として顔は知っていたが、育った家が別々。片

や八丁堀の与力の家、片や金杉村の大百姓の家。親しく話をするようになった

のは、大人になってからのこと。だが、むしろ、だからであろうか、不思議な

ことに仲はよい。

 柳治が説明をしなければならないのは[大七]の前に緒方のご隠居であった。

緒方のご隠居は[難波屋]のことも柳治とともに目撃をしている。兄、吉田与力

の指揮による隠密捜査の前に、兄の指示で緒方のご隠居には[大七]の女将であ

るお玉さんにも内密に、というお願いをしてあった。だが、事件の全貌のある

程度のことは緒方のご隠居には話さざるを得なかろう。まさかに、ご隠居が言

いふらしもすまい。

 浅草門跡裏の長屋へ戻り、緒方のご隠居にあらかたの話はしてしまう。

「なるほど。[泉屋]への憚りか。

 大人の決着というやつか」

「はあ、まあ、町奉行所などというところは、いろいろ気を使わなけりゃいけ

ないもんで」

「で、お玉にはなんという」

「そうなんですよ。とにかく下手人は見つかって、お縄になったので安心して

いただきたい、ってのと、どこの誰が関わっていたってのは、ある筋に差しさ

わりがあって内密になっているから聞かないでほしい、ってところですかね」

「なるほど、わかった」

「で、緒方のご隠居も、お玉さんにもなに分、ご内密にしていただければ」

「わかった、わかった。黙っておる。まあ、[大七]のあんな近所の家が嫌がら

せをする、なんというのは、その本人の番頭はお縄になったがこの先[難波屋]

との付き合いもぎくしゃくするわな。なにも知らない方がよかろう。

 しかし、なんじゃのう。新次郎というのか、[難波屋]の主人も、若気の至り

などというが、困ったものじゃのう。大店のお坊ちゃんを独り立ちさせるのも

なかなかたいへんじゃ。天下の[泉屋]にまで迷惑をかけて。その、大坂の親父

様も[泉屋]にそうとうな義理ができたのう。

 ま、とにもかくにも、柳治さんの兄上のお蔭でお玉の家も、大事なく済んだ、

ということじゃ。私からも礼を申します」

「いえいえ。でも、ちょっと、おもしろかったですね。あの骨がまさか、作り

物とは思わなかった」

「うん、そうじゃのう。わしも、今度、向島へ若い女子(おなご)の骨を釣り

にいってみるかな。」







いかがでしたでしょうか。

「野晒し」という落語と同様のタイトルのみで、それらしいものも付けずに

書いてきました。

今までは、基本ノンフィクションの日記的なものを書いてきましたが、

フィクションは今回のものが生まれて初めてです

麗々亭柳治という若い噺家を主人公に、実際の『野晒し』という噺を下敷き

にしながらも、別のお話で、あまり荒っぽくない軽い謎解き的なストーリー

にしてみました。

今までの日記では、改行、句読点の打ち方など、PCの画面などで読む前提で

読みやすさを考えて書いていますが、今回のものは縦書き、原稿用紙体裁で

書いており、それをそのまま横書きにしているだけで、いつものもの日記と

は、若干体裁が異なっています。見た目にはこんな違いがあります。

主人公の麗々亭柳治というのは、この頃実際にあった名前で、師匠の柳橋は

二代目で亭号は麗々亭ですがこれは、後には現代まで続いている、春風亭柳

橋となる名前です。噺家の名前などは実際のものですが、それ以外は基本フ

ィクションとお考えいただければ幸いです。

書き始める前にある程度の設定や構成は考えましたが、書きながら考えてい

た部分もあって、なんだか無駄に長くなってしまったような気もしています。

ただ自分自身、日記とはまた別に、書いていてもなかなか楽しめたのは意外

ではありました。(むろんアイデアを考えるのはたいへんなことではありま

すが、それを含めて。)




 




   


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