断腸亭料理日記2013

断腸亭パリへいく。 その11

パリも11回目になってしまった。
もう少しのお付き合いを。

5月1日(水)

さて。

モンマルトルから丘を降りて、ブランシュのムーランルージュ。

そして風俗街のようなクリシー通りをピガールまできた。


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ピガール駅のまわり、360度。
(いや、300度くらいかな。)


きれいな街並はどこも一緒なのだが、パリにもこんなところがあるのは、
今、ちょっと意外な感じもする。

しかし、むろん、モンマルトルが芸術家の街であった頃からの
歴史があって、こういう街ができているのであろう。

ムーランルージュなど一度のぞいてみたい気もする。

さて。

どうしようか。

一昨日の腹下し、続いて、昨日の寒空のヴェルサイユ。

夜の食事はあるが、今日はゆっくりしようか。

一度ホテルに戻る。

ピガール駅


から乗って、サン・ラザールまで戻ってくる。

すると、、、、。

サン・ラザールからホテルまではなん回か
歩いているはずが、、、

あれ?


これなんだ?見慣れない建物。

間違えた!。

これ、マドレーヌ教会(Eglise de la Madeleine)だ。

オペラ座・南東方向に歩かねばいけなかったのだが、
南方向に歩いてきてしまった。
最初に書いたが、まったくこのあたりは、道が
わかりずらい。

基本は広場を中心に放射状になっているのだが、
その広場が近くにいくつかある。

それで複雑怪奇な道の配置になっている。
その上、パリの建物は慣れない者には
みな同じように見えてしまうのである。

そう。規制されているのだろうが、派手な看板などもなく、
目印のようなものがないのである。

ともあれ、マドレーヌ教会。
カトリック教会なのに、この円柱が並んだ
古代ギリシャの神殿のような建物はなんであろうか。

なんでも、ルイ15世の頃に建築がはじまり、革命などあり、
用途がなん度も変えられ、結局1814年(天保13年)に
カトリック教会として完成したという。

ホテルに戻り、一休み後、昼飯を軽く食べようと、出る。

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一昨日、ルーブルの帰りにラーメンやに入ったが、
この近所、少し東の方に、日本食レストランがかたまっている通りが
あるので、ちょっと見にいってみようと考えた。

Rue Sainte-Anne(サン=タンヌ通り)というよう。

ホテルから東へ歩いていくと、なにか見慣れた看板が。


恐るべし!。ブック・オフ。

ここ以外にも、パリに数軒あるよう。
日本の本を扱っているのであろうか。
今日はご多分にもれず、メーデーで休み。

サン=タンヌ通りにきた。
右に曲がって南へ下がる。

KOROKKE、と大きく書かれ、ちょっと不思議な店。



ほかほか弁当、Plateau-Hoka-Hoka、で
ほか弁のことになるのか。

フランスでも日本の弁当は人気?!。
(これはその通りらしい。)

細い通りなのだが、随分な数の日本食の店がある。

[大勝軒]。


思わず、入りそうになったが、やめた。

一昨日は腹下しでやむなく、ラーメンやに入ってしまったが、
せっかくのパリ、意地でもこちらのレストランに
入らねば!。
([大勝軒]といえば、池袋のつけ麺が看板の店だが、
ここにはつけ麺はないよう。関係はないのかもしれない。)

[ひぐま]もあった。


クラシックなパリの街にラーメンやの看板が出て、
行列ができているのは、やはりちょっと不思議な光景である。

だが、こんな感じで、サン=タンヌ通りには、日本食の店が
少なくとも10軒以上並んでいる。

先の弁当のような、持ち帰りの店もあり、
ラーメンから定食屋のようなもの、居酒屋、
鮨や、ちょっと高級そうな割烹風のところなど、
業態も幅広い。
そして休日の昼時というのもあって、日本人ではなく、
ローカルの人々でどこもにぎわっているようである。
やはりパリでの日本食人気は既に定着し、
バリエーションが広がっているという状況なのだろう。

聞いてはいたが、実際に見るとやはりちょっと不思議である。
だが、なんにしろ日本の食べ物を好んで食べてもらえるのは
うれしいことではある。

だが、翻ってこんなことを考えてみた。

東京のフランス料理の店の数はおそらくこんなものではない。
パリ全体でも日本食はやっと数十軒であろう。
つまり圧倒的な日本の輸入超過。
そしてこれはなにもフランス料理に限ったことではない。
イタリアンでも中華でも東京にはごまんとある。

こう考えると、10数軒で喜んでいる場合ではない。
逆にもっともっと広まってもらわねば割が合わないことになる。

いや、しかし、こんなものなのであろう。
パリにあるのはやはり大多数はフレンチのカフェでありレストラン。
北京には中華料理以外の食いものやはほとんどない。

彼らの方が普通で、日本人の方がヘンなのである。

これだけ世界中の料理が、それもクオリティーの高いものが
食べられる都市というのも、世界でも東京以外にはない
といってよかろう。

それだけ日本人、東京人が食い意地が張っている?。
未知の食べ物、それもうまいものを取り入れることに熱心であり、
許容力、吸収力がある、ということであろう。

これはよいことなのか?。

外国の料理をたくさん食べている分、確実に米の飯を食べる回数は
減っていることもまた、事実である。

先に、日本人は自らの古いものを大切にしない、と、書いたが、
結局これも同じことである。

新しもの好きであり、許容力があり、受け入れたものを突き詰め、
さらにそれをアレンジしそれ以上のものを作り出すと
いうのもまた、われわれの文化であるといってもよい。

要はバランスである。

最低限の食料自給ができなければ安全保障上もまずかろう。
また、己(おのれ)の氏素性、文化であり歴史を語れない者は
世界中で相手にされない。

ともすれば日本人は受け入れることにばかり
執心しがちである。
これではだめ、ということである。




つづく。




 

 


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