断腸亭料理日記2013

2020年 東京オリンピック決定

2020年東京オリンピックが決まった。

まあこれ、よかった、のであろう。

しかし、安倍総理の引きの強さは流石のものである。
(石原さんでは足らなかった。)

この2020年東京オリンピック、どうとらえたらよいのか。
ちょっと考えてみた。

安倍さんはプレゼンテーションで、
1964年の東京大会の年には10歳で、記憶の片隅にある、
と語っていた。(総理は1954年生まれ。)

私はオリンピックの前年の1963年生まれでなので
むろんまったく記憶はなく、オリンピックからの
年月が自分の年齢とほぼ同じという位置付けで
理解をしてきた。

いわば、オリンピック以前を知らない世代として
その後の東京、日本ととともに成長、成人し、
年を食ってきた。

東京という都市はオリンピックで劇的に変化した。
いや、街だけでなく人々も大きく変わった。

そして今日、二度目のオリンピックが開かれると決まった。

東京がもう一度変化するタイミングということになろう。

東京人は東京という街をどうしたいのか。
日本人は世界の中でどういう国を目指すのか。
考えて、歩を進める、ちょうどよいチャンスをもらえた、
そう考えるとよいように思う。

当時、東京ではどういうことが起きたのであろうか。

64年のオリンピックを契機に、新幹線ができた、
環状八号線(環八)ができた、首都高ができた。

その他、様々な開発が行われ、東京の近代化というのか、
現代化というのか、が行なわれ、戦後の焼け跡を一掃し、
成長の礎(いしづえ)になった。

これ自体、私は否定することはできないとは思っている。
敗戦国として出発したが、東アジアでいち早く復興し、
一時はアメリカに次ぐ経済大国にまでなった。
(我々の世代はその過程の中で成長している。)

ただ、やはり、その陰で、失くした、あるいは
捨ててきたものもまた少なくないのである。

首都高はできたが、その首都高は日本橋を覆うように
造られた。

東京の街はきれいになったが、その代わり、
江戸から続く長屋のようなものは、なくなり
同時に、江戸から続く庶民文化、例えば落語の世界、は
徐々になくなっていった。

池波正太郎先生やその他語られることは多いが、
それまで、生活文化として、あるいは大げさにいえば
生活哲学のような部分では、『江戸』が
オリンピックまでは人々に多く残っていた。

それが東京オリンピックによって一掃された。

毎度書いているが、私などは、東京生まれの父や祖父の
世代までが持っていた様々な生活文化や哲学が
なくなったところに生まれ育ってしまった、という、
いわば故郷喪失感のようなものに成人して
気が付いていったのである。

東京という都市の発展はむろん喜ぶべきとこなのだが、
受け継がれてきた固有の文化が失われていくのは、
やはり悲しいことなのである。
(まあ、その象徴が私にとっては、例えば、東京の味の濃い
食いものであり、落語なのである。)

こと、東京(江戸)固有の文化というと、実際のところは
悲しいことだが、オリンピック以前にも、明治以降、
ないがしろにされてきた歴史を持っている。

400年以上の歴史のある大都市である東京であるが、
現代においてどれだけ古い物が残っているのか。

むろん、関東大震災と第二次大戦という大きな
破壊要因はあったのは事実だが、それだけではなく、
かえりみられなかったものは多々ある。

先日も書いたが、例えば、上野公園にある上野東照宮。

上野戦争も生き残り、関東大震災にも耐え、
東京大空襲も潜り抜けた社殿は、今回やっと
きれいになったが、重要文化財でありながら、
荒れるにまかされているといってよい状態であった。

そういうことを知っている人すら少ない。

あるいはうなぎ蒲焼、にぎりずし、天ぷらなど
江戸発祥の食文化というのもある。

これらは東京が世界に誇るべきもので、
例えば東京都として積極的に保護育成というのか、
無形文化遺産として認定し、日本うなぎの
保護に都が関わる、であるとか、することがあるように
思われる。

東京(江戸)固有の有形無形のものをもっと
大切にしてほしい。
これが私の心からの願いである。

新しいものを造るのもむろん結構だが、どこの都市とも
同じようなものを造ってしまっては
なんの意味もないではないか。

自分達の歴史を大切にしてこそ、
世界の人々を迎えて話ができるのではなかろうか。

日本橋上の首都高は、やはり早く失くしてほしい。

江戸からの花見の名所、向島の土手。
その上を覆う、首都高向島線も同様である。
スカイツリーはできたが、あれは目障り極まりない。

暗渠になった山谷掘だって、できればもう一度、堀に
戻してほしい。

あるいは、芝の増上寺などもどうであろうか。

これも上野同様。
かつては徳川将軍家の菩提寺で二代将軍秀忠はじめ
歴代将軍の霊廟が林立していたが、第二次大戦で
ほとんどが灰になった。
その後、増上寺の寺域は極端に狭くなり、ご存知の通り
まわりはプリンスホテルになっている。

焼けてしまったものはしょうがない。
しかし、わずかだが残っている門などの遺構も存在している
のである。にもかかわらず、それらはホテルの駐車場の片隅に
埃をかぶって荒れるにまかされている。
(西武が狭山湖へ持っていってそのままのものも
いくつかある。)

これらは、どう考えても放っておいてよいはずはない。

江戸からの貴重な文化遺産であることは疑いようのない
事実である。きちんと整備をすれば、必ずや
海外からの人々の観光資源にもなるはずである。

むろんこれらはほんの一例。

まだまだ、いろんなことはあるが、猪瀬知事様、
二度目の東京大改造のチャンス、新オリンピックに向けて、
東京らしさ、江戸らしさの復活、ということも是非、コンセプトに
加えていただきたいのである。
一都民の切なる念願である。




 




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