断腸亭料理日記2014

江戸人のこと その2

江戸時代後期の「江戸人」のことを考えている。

江戸人というのは今考えるよりも『自由』であったのでは
なかろうか、というのが昨日考えた仮説ではある。

江戸では“家”のようなものからも『自由』な人が
多かったのではないかと。

この『自由』は昨日同時に述べた“個の自立”とも
関係していよう。

『自由』の結果が“個の自立”ということになるのかもしれない。

江戸開府から文化文政までで200年。

飢饉やらあったにしても、基本的には戦乱のない平和な世の中が続き、
商品経済が発達し(モノがあふれ)、江戸は中期頃には既に
世界でも指折りの百万都市になり町人の文化が花開いた。

平和で余裕があれば人は成熟するものなのであろう。

だが、で、ある。

こんなことも考えてみた。

『自由』で“自立した個"というとポジティブな感じがするが、
よくよく考えてみると必ずしもそうともいえない。

例えば、昔から、江戸っ子、というと
「宵越しの銭はもたねぇ」なんというのも
よく聞く言葉であった。

その日暮らし、非計画的、あるいは享楽的ともいえるのか。
(ラテン的?)

これらは『自由』の別の側面といってよろしかろう。

江戸人のすべてが実際にそうだったのかといえば
商人であるとか、計画性がなければ成り立たない人々も
あったはずである。

だがおそらく、平均値を取って社会全体の気分はどうかといえば
自由で享楽的であった、ということだと思われる。
(まあ、結局、それでも暮らせたということなのであろう。)

私などはこれをもう少しポジティブとらえたい。

作品にすぐれた江戸人の世界を再構築された
池波正太郎先生はよく書かれている。

「人は生まれた時から死に向かっている。」

つまり、誰もが明日死んでしまうかもしれない、

死ぬ前になって、あれもしておけばよかった、
これはし残した、と思っても取り返しがつかない。
だから今日を精一杯送ろう、と。

江戸人の“その日暮らし”は、こういうことだったのではないかと
思うのである。

その日その日、毎日、楽しむにしても、働くにしても、
飯を食うにしても、人として、天から与えられた、
あるいは自らの信ずところに沿って、精一杯送る。

(ここはポイントである。楽しむだけではない、
働くにしても、すべてのことを
精一杯するということである。)

やはりこれも“個としての自立”というキーワードの
構成要素といってよいのかもしれない。

また、故談志家元のいった「人間の業の肯定」というのも
然り、で、あろう。

そしてもう一つ。

『自由』や“個の自立”をいうのであれば、
むろんのこと、野放図な己一人勝手なものではないはずである。

自分がそうするのであれば、人様(ひとさま)の『自由』もまた、
許容しなければ、社会として成立しない。
自明である。

江戸っ子を表現するのにもう一つ、
喧嘩っ早い、というのがある。

例えば落語「大工調べ」の棟梁のような奴である。

確かに、ああいう手合いは町内に一人くらいはいたが、
ほとんどは常識人であったわけである。

または、これは私の父親の話である。
(神田の生まれではないく大井町の生まれだが、
まあ、気性は江戸っ子といってよろしかろう。)

普段は口数はそう多い方ではないが、
いつもにこにことして、人当たりがよく、如才ない、
いい人、というのがもっぱらの評判であった。

しかし、この父はなにかの拍子に怒りだすと
手が付けられないほどこわかった。

基本、常識人でも、啖呵を切ったり、
ポンポンいうのは、文化というのか、
習性というのか、江戸人、東京人は
好きだったのであろう。

また、常識人といえば、こんなことも
江戸人の特徴かも知れない。

これは江戸人に限ったことではなく、京都の人もそうだというので
都市人に共通するものかもしれぬ。

なにかというと、他人との距離感を大切にし、
づかづかと無遠慮に人の庭には足を踏み入れない。

田舎の人からすると冷たいといわれるかもしれぬが
人が多い分、よく知らない人との接触が多く、
そういう場合には、無用な摩擦は避けたいと考える。
やはり常識人である。

ともあれ。

江戸人の『自由』とは、むろんのこと
無軌道でも、わがままでもなく、節度を持った
『自由』であったと思うのである。

江戸人から、東京人に少し広がってしまったが、
今回のキーワード『自由』の中身、
今までなん回か書いてきたことでもあるが、
なんとなくお分かりいただけたであろうか。

やはり、現代の価値観とは大きく違っているので
わかりずらいやもしれぬ。


明日ももう少し、続けてみる。




 
 


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