断腸亭料理日記2014

上野・洋食・ぽん多本家

10月16日(木)夜

今日はなにを食べようか。

考えながら、大江戸線の上野御徒町駅で降りる。

しかしまあ、この時点では、おおかたは決まっている。

当初は、なぜかお好み焼きが食べたいと、思っていたのだが、
上野御徒町駅が近づくにつれて、次第にとんかつやというのか、
洋食やというのか[ぽん多本家]に変わっていった、のであった。

お好み焼きというのは最近食べるとすると、関西風なのだが、
最近新しくなった吉池のビルに、大阪の[ぼてじゅう]が
入っているので、ここへ行こうかとも考えていた、のであった。

しかしまあ、わざわざ外で食べなくともと、考えて、方針変更。
どうせであれば、うまいもの。
今年、少し私自身の見方が少し変わった[ぽん多本家]、である。

毎度書いているが、上野というのはとんかつ発祥の地
などといわれており、明治末から大正、昭和初期にかけて創業の
店が三軒ある。

[ぽん多本家]、[井泉][蓬莱屋]

中でも[ぽん多本家]は明治38年創業で最も古く、
また、池波レシピでもある。

まあ、昔から私も通っているのだが、今年、ここの「蛤のバタ焼き」を
どうしても食べたくなり(実はこの時が初めてだったのだが)
これを目指してきたことがあった。

むろん、これがべら棒にうまかったのであるが、
この[ぽん多本家]は、老舗のとんかつやとして
考えるのは多少、違っているのではないか、と、思ったのである。

この店の看板の表記は、とんかつ[ぽん多]ではなく、
洋食[ぽん多]なのである。

世間一般ではとんかつやで通っており、私もずっとそういう
位置付けであったが、そう数は多くはないが、とんかつ以外の
メニューも、先のバタ焼きやら、タンシチューなどもここにはあり、
また、揚げ物でも、いかなどの魚介類もあり、これがまた、うまい。

とんかつというのは、歴史とすれば、明治に東京に生まれた
洋食やの「ポークカツレツ」が明治末から大正にかけて
独立し、とんかつやという、今の白木のカウンターなどがある、
和食然とした店になっていったと思われる。
三軒のうちの他の二軒はいかにもそういう趣きで、創業時期も
ずばり大正と、昭和の一桁でとんかつ独立の初期。

そういう意味では、ここは、それでも、とんかつが看板なのであるが、
洋食やの色を大きく残している(比喩が適切ではないが、
恐竜の痕跡を残した始祖鳥のような?!)店といってよいと思うのである。

さて。

そんなことで、今日もとんかつではないものを目指して
店の木製の重いドアを開けた。

時刻は19時半すぎ。

一階はカウンターで、二階がテーブル席。
一人だと、一階。

カウンターに先客はなく、右の端に座る。
座って、ビール。

キリンラガー中瓶。


このお通しが、煮穴子。

とんかつや(洋食や)で、お通し用に、
煮穴子を作っているというのは、おもしろいではないか。

いつも決まっているわけではないようだが、
ここのお通しは楽しみ、なのである。

以前に、小さめのものではあったが、お通しに、蛤のフライ、
なんということがあったが、これが乙であり、実にうまかった。
(それで正規のメニューにある蛤のバタ焼きを食べにきたのであった。)

さてさて、なににしようか。

ん!。

「カキフライ」があるぞ。

まさに、初物。

10月から、メニューに入れているところは多い。

この店であれば、間違いなく期待できよう。

穴子をつまみながら、ビールを呑む。


きた。


見よ、この大きさ。

この揚げ色。

ここはとんかつ(カツレツ)でもそうだが、このように薄めの揚げ色。

口に入れると、サックリとした歯触り。

中はぷりっぷりの見た通り大粒の牡蠣。

食べ終わるのがおしいくらい。

うまかった。

ご馳走様でした。


こんな出端にここ[ぽん多本家]でカキフライを食べられたのは、
幸せなことである。





台東区上野3-23-3
03-3831-2351



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