断腸亭料理日記2015

フィリピン・ボラカイ島 その2


朝食を食べて、のんびり。

ここに着いた昨夜は雷雨であったが、今日も天気がわるそうである。

ロビーのあるフロアは崖の上で、海に向かって、見晴らしが
開けている。


左右に二つのプライベートビーチ。

下に降りると、プール。


天気がわるく、さすがに誰もいない。(明るめに写っているが、実際はドンヨリである。)

 

パラソルも閉じられ、波も高い。

人がいないこういう風景もきれいではある。

ダイビングセンター。
明日からのダイビングの打合せ。

9時出発で、午前2本。
日本人スタッフはおらず、ほとんどがフィリピン人のよう。

もう一つのビーチ。


プンタブンガという。

さて。

今日は天気もわるいので島唯一の繁華街、Dモールというところへ
出掛けてみることにする。
ホテルからはシャトルが出ている。

このDモールというのはボラカイ島にある、世界一美しいと評価された、
ホワイトビーチに接しているようである。

が、このDモール、きてみると、かなり不思議。


なんだかこんなキッチュな観覧車がある。
さすがに誰ものっていない。

日本食レストラン。


ここにきているほとんどの人が、中国人のようである。

生憎の天気だが、これが世界一美しいというホワイトビーチ。


広い白い砂浜が長く長く続き、確かにビーチは美しいのではあるが、
居る人が、美しくないのか、、。

 

これがモールの中なのだが、モールとは名ばかりで、こんな感じ。
細い路地にみやげものやら、レストランやら、小さな店が軒を連ねている。
昨夜からの雨で水浸し。

狭い水路のようになった路地を2台のトライシクルが無理やりすれ違う。

左は八百や。
むろん地元の人が買うのであろう。

肉やもある。こちらで肉やはなん軒かみたが、肉は冷蔵しておらず、
上に蝿よけなのか扇風機が回っていたりするが、覆いもなにもなく、
常温の外気に晒しているといういうのが普通のようである。
見たところ、やっぱり豚肉。兄ンちゃんは寝てる。

気が付くと、3時。
朝飯をたくさん食べたので、ここにあった、マックで
軽く、食事。あんな野晒しの肉を見てしまうと、とても
心配で地元のレストラン、食堂には入れないではないか。

ハンバーガーとチーズバーガーにコーラ。
ポテトはデフォルトで付いてきた。

開けてみるとペチャンコ!。

食べ終わり、そろそろ帰ろうか、と、ホテルのシャトルが
くる場所で待つ。各ホテルの送迎が皆同じ場所で、大量の中国人で
ごった返している。

雨もまた激しく降り始める。

しばし待って、きた、のであるが、ワラワラと中国の衆が群がり
とても乗り切れない。
ホテルのスタッフは、もう一台すぐに出す、という。

やはり、こういうところでは、人数の多い彼らにはとてもかなわない。
13億の生存競争を戦っている強さであろう。
韓国人は、乗れなくてスタッフにクレームをつけている。

私はクレームをつける気にはならない。
仕方なかろう。待つしかあるまい。いつかは帰れよう。
そう一刻を争って帰るほど、忙しいわけではないではないか。
まさか五つ星ホテルがそう無責任なこともするまい。

要領のよい欧米人の夫婦がいて、運転席の脇のドアを開けて
二つある運転手の脇の席に座ってしまった。

あ〜。

願わくば、中韓その他、アジアの彼らとともにではなく、
欧米人の側に居たい、、、。
この状況に置かれた私の、偽らざる本音。

一昨日「首相談話」の回に、明治の総括が必要と書いたが、
実に、このこと、である。

日清戦争、朝鮮併合。
明治政府は、アジアにつくのではなく、欧米帝国主義の側に
つくことを選んだのである。
一番下でも、欧米側にいたいと。
そういうことであろう。

今、この状況で咄嗟に私が感じたことと、
明治の指導者達が考えたことは同じであろうか。
まさか、そんな感情的なことでもあるまいが。

勝海舟などは日清戦争には反対していたと思われる。

なぜこういう判断をしたのか。
また、調べてみようかしら、、。

 

つづく

 



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