さて、土曜日。
生玉子をかけたそばが食べたくなった。
この季節なので、冷たいもの。
以前にやってみたことがあるのだが、
ざるそばのざるに玉子をかける、という食べ方。
これは一般的な食べ方ではないと思うのだが、うまい。
そして実はこれ、池波レシピである。
先生のエッセイ集「ル・パスタン」(文春文庫)に出てくる。
もう一つ、どこかは忘れてしまったが「剣客商売」で
おはるがざるの上で、生玉子を器用にそばに絡めて
食べるというシーンがあったと思う。
これを真似してやってみたのは近所の立ち喰そばだったのだが、
うまいことはうまい。しかし、想像してみるとお分かりになるかもしれぬが、
ざるの上で生玉子をそばに混ぜると、ざるを通って下に玉子が流れてしまい、
べちょべちょ。あまりきれいな食べ方ではないのである。
そこで、ぶっかけ。
ぶっかけであれば、そんな心配はない。
乾麺のそばを一把茹でて、つゆはいつのも桃屋のもの、原液。
ねぎを刻んで、生玉子を落とす。
よく混ぜて、食べる。
味は想像がつかれようが、こんなものだが、うまい。
逆に、もっと一般的でもよさそうである。
冷たいそばは今でも東京ではざるが基本で、ぶっかけ、というのは、
伝統的にもあまりやられてこなかった食べ方である。
定番になっているのは、冷やしたぬき、ぐらいであろうか。
従って、玉子だけを落としただけのぶっかけも
定番ではなかろう。
しかし、一方で、前にも書いた神楽坂[翁庵]の
かつそば、三越前[利休庵]の納豆そばなど、
店それぞれで考えられたオリジナルのぶっかけは、意外に
数多くあって、また、うまいものが多い。
東京のぶっかけ蕎麦、ねじれたような、ちょっと不思議な状況かもしれぬ。
さて。
夜。
昨日買った、小柱2枚(パック)。
1枚の1/3ほど刺身で食べて、残っている。
これをかき揚げにする。
昨日も書いたが、今東京の鮨やや天ぷらやで
使われている小柱は、大粒の北海道のもの。
どうであろうか。一粒の大きさで、倍以上はあろう。
江戸前のものも、今回の愛知県のものも大差ないが、
一粒の直径は、大きくても5mm程度。
ほとんど別物といってよいくらいかもしれない。
(実際に、生物分類学というのか、種が異なるほど
離れていないようだが、DNA解析をすると明確に違うようである。)
小柱は江戸前天ぷらのかき揚げでは、芝海老と並んで
今は大定番といってよろしかろう。
(ただ、大粒の北海道のものではなく、
今回の小さなものが元来の江戸前の小柱であろう。)
そして、やっぱり池波レシピ。
「食べ物日記―鬼平誕生のころ」
に出てくるが、実際に奥様お手製の三つ葉と小柱のかき揚げが
よく食されているものとして登場する。
また、鬼平などにも「貝柱の[かき揚げ]を浮かせたそば」
(鬼平犯科帳(二)「蛇の目」)
などといって天ぷらそばとして複数回登場させている。
小柱かき揚げというのは、池波先生の好物であったのであろうし、
いかにも江戸前の天ぷら、かき揚げらしくみえる。
(私もむろん、好物である。)
では、本当にそうなのか。
実際のところ小柱のかき揚げは、いつ頃からどんなところで、
どんな頻度で誰に食べられるようになったのか。
毎度のことだが、断腸亭としてはこれを考えてみなければならない。
天ぷらの歴史は、同じ江戸名物の食いものの、にぎり鮨や、
うなぎ蒲焼と比べても圧倒的に古いことは想像できる。
安土桃山時代、南蛮文化とともに入ってきて、ポルトガル語が語源
であるという説があったり、徳川家康の好物で、死ぬ前に鯛の天ぷらを食べて
いた、なんということも言われているのは皆様ご存知であろう。
おそらく、江戸で庶民が食べる外食が盛んになるのは、やはり中期以降で
始りの頃の天ぷらやは屋台であったともいう。では、この中期以降がいつなのか
が大きな問題なのであるが、実際のところ、不勉強で明確な知識は
持ち合わせていない。
言い訳めくが、私の調べ方は現代からさかのぼって考えるのを
常としている。
まず、東京の天ぷらやの老舗でも江戸創業というのは
そう多くないようなのである。
どうであろうか、浅草雷門脇の[三定]で天保8年(1837年)
というのがあるがこのあたりが現在続いている暖簾では最古では
なかろうか。あとは同じく浅草の[中清]が明治3年。銀座[天国]が
明治18年、こんな感じであろうか。
そして、これらは皆、天丼(かき揚げ丼)を看板にしている。
以前に「丼もの考察」として、うな丼、天丼などの歴史を
明治初期から新聞記事をあたって調べたことがある。
これによれば、天丼はうな丼よりも後の明治の20年頃から登場している。
おそらく先に挙げた浅草などに残っている老舗の、甘辛いたれをたっぷりかけた
かき揚げ天丼は、明治のこの頃にどうも流行ったもののようなのである。
うな丼があり、その後に天丼ができたと私は考えているが
天丼が流行る前の天ぷらは、おそらく天ぷら単体であったと
思われるのだが、どんな店で、どんなものであったか。
そこで、毎度登場のもう一つの考証の切り口、落語に出てくる
天ぷらはどんなものか。
長くなるので、つづきは、明日。
断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5
|
2004 リスト6
|2004
リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10
|
2004
リスト11 | 2004 リスト12
|2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005
リスト15
2005
リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20
|
2005
リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006
6月
2006 7月 |
2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006
12月
2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |
2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月
2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月
2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |
2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |
2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |
2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |
2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |
2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |
2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |
2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |
2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月
2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2013 9月 |
2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月
| 2015 3月 | 2015 4月 |
(C)DANCHOUTEI 2015