断腸亭料理日記2015

あれから4年

2011年3月11日。

あれからまる4年がすぎた。

やはり、今日はこのことを書かねばなるまい。

皆様もいろいろな思いを持ってこの日を
迎えられているのかとは思う。

NHKによれば死者1万5891人、行方不明者は2584人。
いわゆる震災関連死3200人。計、2万人を超えている。

改めて亡くなられた方々に哀悼を意を表したい。

この2万人という数字は、阪神淡路大震災よりもむろん
多く、まさに未曾有の大災害といってよいのであろう。

また、これに加えて、ご承知の通り、かの福島第一原発の
メルトダウンの処理はいつ終わるともわからない戦いを続けており、
近隣の人々は先祖伝来の土地を追われたままである。
嗚呼。

この原発事故は地震が引き金になっているとはいえ、
完全なる人災であり、戦後の原発推進政策を直接ではないにしろ
支持をしてきた我々国民全員で引き受けなければいけない。

さて。

いま死者2万人と書いたが、この数字、むろん未曾有だとは
思うのだが、調べてみると、戦後において、という限定を
つけなばならないようである。

例えば、地震ではないが、第二次大戦の我が国の死者数は310万人。
(ウィキペディア)これは完全な人災だが、まあ、二桁違う。

また、驚くのは大正時代の関東大震災である。
関東大震災では10万5千人の死者、行方不明者という。(同)

東日本大震災の5倍。
発災の時刻が昼前の11時58分で昼ご飯の準備中の人が多く
火を使っており、ここからの火災。また、さらに当時の東京は
下町を中心に江戸からの密集した家屋と細い路地のままで
これが大火災になったことなどが直接的な原因である。

さて。もう少しさかのぼって、江戸時代。
最大の災害は、天明の飢饉といってよかろう。

今から230年余り前、江戸中期、田沼時代。
浅間山、岩木山の噴火からの今いう異常気象が数年に渡り、
日照不足、冷害、病気の流行など。
92万人の死者であったろうとのこと。(同)
(これで、先日書いた幕政の大転換、松平定信の
寛政の改革になる。)

戦争、地震、飢饉、、。

比べるのもなにか見当違いのようではあるが、それでも
こう並べてみると、やはり戦争の犠牲の大きさが際立っている。
特に第二次大戦は近代の大量破壊兵器を使った戦いで、
本土が戦場になったことも原因であろう。
現代において世界戦争が起きれば間違いなく、人類は滅亡する。

さて。

なぜこんなことを書き始めたか、である。
今回の震災で命を落とさないまでも人生が変わったという方は
多かろう。かくいう私もそうであるが、これはもう天災で、
誰のせいでもない。
人知を越えた、運命である、と思わざるを得ない。

事故、病気など突然、人間は、個々別々に人生が大転換することは
よくあることである。
しかし、こう大規模に多くの人が同じ時に影響を受けるのはそう多くはない。
どんなものか、振り返ってみたのである。

日本人というのはよくいわれるが
こういう限界状況に対して比較的冷静であると。
暴動も起こさず、略奪もせず、泣き叫ぶ人もあまりない。
見た目には淡々とむしろ助け合っている、と。

人知を越えた運命、と私も既に書いてしまったが
仕方のないことである、と考えて受け入れ、あきらめているのか。
私達はあきらめやすいのであろうか。

ただ、自分のことを考えると、起きてしまったことで
いまさら取り返しがつかない。
受け入れないで、いつまでもそこにとどまったり、
振り返って悔やんでみても、なんら益するところはない。
受け入れなければ、前にも進めない。
そういうことはいえるのであろう。

まあ、これは、立ち直ってまた歩き始めるまでの
プロセスとして、どこの国の人々でも同じことであろう。

よくよく考えると、違うのは、受け入れ方、かもしれない。

受け入れてはいても、それをなにかの、あるいは
誰かへの、怨(うら)み、怒り、として持ち続ける、
ということなのではなかろうか。

結局どこの国の人々でも、自然災害だとしても、
自然そのものへの怨み、怒りを持つよりも、支配者、
国だったり行政だったりへの不信、不満、怨みとして
処理しているのではあるまいか。

例えば、近い例では朝鮮半島の人々。
地理的に、大陸の漢民族その他から常に侵略あるいは
支配を受け、また、日本からも然り。
こうした力による支配には従わざるを得ず、怨みとして
深く深く、長く長く仕舞い込む。そんなことを聞いたことがある。

これに対し、どうも我々は、半ば無条件に受け入れてしまうような
メンタリティーを持っているのではなかろうか。
たとえ、戦争といえども。
(これを、忘れっぽいとよくいわれるのだが、そうではないのでは
なかろうか。)

(沖縄やアイヌをのぞき)他国の侵略、支配を受けた経験が
有史以来皆無に近く、同じ民族であれば、領主の支配を
受け入れてもあまりひどいことはなく、なんとかなってきた。
(稀有な幸せ者達かもしれぬ。)

国民や国土が大きな打撃を受ければ、物理的にはむろん、
メンタル的にも大いに傷つく。
今回の震災も、物理的にも人々の心の傷もまだまだ癒えたとは
いえなかろう。

ただこうした打撃があると、賢くもなるし、強くもなる。
(もしかすると、誰かさんへの怨みや怒りにしてしまうと
そうはならないのかもしれない。)
忘れっぽいのではなく、耐えて、消化して、学習している。

この間も書いたがようにそれこそ100万に近い人々が
死んでいった天明の飢饉があって、成熟した江戸後期を迎えることが
できたわけである。

関東大震災もそうであるし、第二次大戦もそうであってほしい。

やはり、そういう意味でも、この震災、原発事故は
必ずや私達の糧にしなければいけない。

私達は好むと好まざるとにかかわらず、この日本列島に生まれ
働き、ものを食い、笑い、泣き、人生を送っている。

遥か1149年前、平安時代の初期に同じところで同じような規模の
地震と津波が起きていた。
これが私達の国であり、故郷なのである。
それはもう、受け入れるしかあるまい。






 

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