断腸亭料理日記2015

連休・上野東照宮 その2

引続き、上野東照宮。



拝殿と本殿を取り囲み、塀がある。


網代(あじろ)に組まれた部分(連子/れんじ?。)があって
向こう側が見え、透き塀というようである。


左側の入り口から塀の中へ入る。


内側から見た塀。(別段外と内では大きな違いはないようである。)

塀の上は屋根瓦で、すべて三つ葉葵の紋が入り、金箔が施されている。

瓦の下は欄間のような彫り物の部分。
植物、動物などの彫刻で、赤緑青の彩色。さらにここにも金箔が施されている。
この派手派手しい色使いは、日光の東照宮などがすぐに
思い浮かぶが、この頃の特徴であろう。




ほう、なるほど。

過去の修復時一度、弁柄(べんがら、赤)で塗ってあったものを
今回の修復で造営当初の極彩色に戻した。

金箔を貼った上に彩色をしている!?。
そりゃあ、すごい。
贅沢なもんである。

奥側の本殿。


こちらはもっとすごい。

極彩色に金。

壁が全部、金箔張り。

拝殿。


こちらの壁は黒。 この黒は漆塗りであろうか。
拝殿と本殿をつなぐ部分(石の間というらしい)も金。


まさに黄金の社殿。

正面側にまわってきて、

正面の唐門。


これも同様。黄金と極彩色の豪華な彫刻。


ほう。左甚五郎作。

昇り龍、降り龍の伝説である。
昇り、降りが逆というのがほんとう、とのこと。


右に昇っている降り龍(?)。


左に降っている昇り龍(?)の彫刻。


夜な夜な、こやつらが不忍池に水を飲みに行くと。

伝説の割には小さな龍である。

甚五郎の彫り物というのはいくつもの落語、講談の種になっている。

「ねずみ」、「竹の水仙」、「三井の大黒」、、。
(基本、甚五郎の彫り物が動いたという系統の噺。)
確かこの昇り龍、降り龍の噺もあったはず。

左甚五郎といえば日光東照宮の「眠り猫」が最も有名であるが、
それ以外にも多くの落語・講談になっており、人気があったわけである。

ただ、そもそもこの人、本当にいたのか。存在自体が多分に伝説的、と、
いってよいのであろう。

拝殿正面。



まさに黄金。


権現造り、というのは、拝殿と本殿を含めた社殿の配置などの
形式のようである。

そういえば、むろんここまで豪華ではないが、三社様、
浅草神社も権現造りでであった。浅草神社も同じ江戸初期のものである。

権現造りは、神君家康公を権現様というので、
日光東照宮やらこの当時の金キラ、極彩色のものをいうのかと
思っていたが、形式のことで金キラをいったわけではないということか。


日光東照宮の陽明門などはもっと派手で、あそこまでいくと
むしろ悪趣味の域に入るのではなかろうか。
(文化的歴史的価値は別として。)

このくらいの、金に黒のバランスであれば上品。
いや、すばらしい!。


一まわり終了。

いや、それにしても、すごいかった。

中尊寺金色堂、京都金閣、秀吉の金の茶室。
金キラの建築は多いが、上野東照宮もそれらに
負けず劣らず、すごいものである。

東照宮は日光、久能山などより格上というのか、本家というのか、
というのもむろんあるが、やはり江戸お膝元も東照宮も
このくらいのものであったわけである。
当然といえば当然のことではあろう。

しかし、それにしても私が思うのは
各将軍の御霊屋(おたまや)、霊廟のこと。


ほとんど写真は残っていないと思われるが、これは芝の増上寺にあった
有章院殿、七代家継の霊廟の一部。

金がなくなり吉宗以降はやめてしまったが、家継までこの派手派手かつ
大伽藍の霊廟を建てていたのである。

そして、それらは第二次大戦の東京大空襲で焼かれるまで、
寛永寺と増上寺に残っていたのである。
ご存知の方はそう多くはあるまい。

そういう意味でも、この上野東照宮が残っているのは
まさに東京の奇跡といってよい。


つづく







 

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