断腸亭料理日記2016

箱根塔ノ沢・福住楼 その1

12月22日(金)〜25日(日)

さて。

もう長くこの日記を読んでいただいている方は、
覚えておいでかもしれぬ。
また、相もかわらず、と、思われよう。
暮れの恒例、年賀状のあて名書きに箱根の温泉宿に二泊する。

どのくらいこれを続けているのであろうか。
30代のなかばあたりからなので、
15年くらいにはなろうか。

宿は毎年決めており、湯本から一つ目の塔ノ沢温泉の
[福住楼]というところ。
建物が国指定の有形文化財で数寄屋造りが見事。
これが好きで毎年きている。

私自身、実のところ、温泉というところには
ほとんど行かない。
温泉以前に、風呂自体、あまり長く入っていられないのである。
別段、入浴がきらいというのではないが、入っていると飽きてしまう
のである。
それで、家で風呂に入るときも、熱い湯に短時間。
温泉でなん回も入るなど、考えられないのである。

そんなわけで毎年[福住楼]へくるのも、風呂でもなく、
食い物でもなく、素晴らしい明治大正の数寄屋造りの部屋で
酒を呑んで怠惰にゴロゴロするため。
まあ、年賀状というのは表向きで実のところは
こんなものではある。

天皇誕生日、金曜の午後、内儀(かみ)さんと車で出る。

東名は上りも下りも交通量が多い。
クリスマスに向かって、郊外も都心もにぎわうということか。
なんとなく、感覚的にこの12月も東京の盛り場は人が出ていた。
実感としての景気も多少よくなっているのであろうか。

4時近く、塔ノ沢着。

[福住楼]は1890年(明治23年)創業。

意外に、新しいではないか、とも思われるかもしれぬ。
むろん、江戸の頃も箱根に湯宿というのは数多くあったのであろう。
江戸期も温泉ブーム。伊勢参りなどの寺社参拝の旅同様に
湯治も比較的自由に出掛けることが許されていたのである。
塔ノ沢にも江戸人も多数湯治に訪れたと思われる。
しかし、数奇屋造がこうして一般に使われるようになるのは
明治になってからなのである。

宿に着いて部屋に案内される。

今年は桜の三

部屋は全部で17。
こぢんまりしたもの。
これもよい。

基本、早川の渓谷に面して建てられており、
川側、リバービューが、よい部屋。

一階から階段を一つ上がり、すぐ左。

この部屋は廊下からすぐに入口があるのではなく、
ちょっと引っ込んだスペースがあって
廊下とは直角左側に中入口がある。
つまり、戸を開けても廊下からはすぐに部屋の中は見えない。
にくい配慮ではないか。

入ったところが、六畳の次の間。

奥の主室が十畳。

右手側が早川で、かなり大きく川音が聞こえる。

主室の突き当りは川に向かって二面が窓。
まさにパノラマビュー。

右手奥は一畳半ほど飛び出しており、ここに文机が置かれ
付書院風のスペースになっている。

この天井というのか鴨居というのか、
ちょっとアールがついた意匠もよいではないか。

窓からの眺め。

左側が並びの風呂のある棟。

ひょっとすると最近は12月でもまだ紅葉が山には残っていることが
あるがこの間の大風で飛ばされたからか、すっかり冬の景色。

左側が違い棚と床の間。

香炉。掛軸は絵、だがミミズクのよう。

その左が半間の押入れ。
戸の表面が網代(あじろ)。
これもよい。
竹であろう。濃淡のある色で編んであるわけである。
これはここでは多用されている意匠。

床の間を背にして座った正面。

障子があって、鴨居上の額は書。
(残念ながら読めぬ。)

その向こうが縁側。

籐の椅子とテーブル。
硝子戸があって、外には葉を落とした百日紅(さるすべり)。
その向こうにド、ド、ド、っと、速い流れの早川が流れている。


先ほどの、付書院と縁側の間。
飾り窓というのか飾り障子というのか。

細かく見ると、障子の向こう側とこちら側で
違う桟(さん)の配置になっている。
むろん、透かして見ることを前提に造ってあるわけである。

これでもか、というくらいこういう装飾が
施されている。

現代の建築でこんなものがあろうか。



つづく




福住楼




 


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