断腸亭料理日記2016

初芝居・歌舞伎座・

寿初春大歌舞伎 その3

1月3日(日)

引き続き、歌舞伎座の初芝居。

今日は、最後の幕。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
河竹黙阿弥 作
四、雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)
直侍 浄瑠璃「忍逢春雪解」

片岡直次郎 染五郎
三千歳 芝雀
暗闇の丑松 吉之助
寮番喜兵衛 錦吾
丈賀 東蔵
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これは最初にも書いたが本当のタイトル、外題(げだい)は「天衣紛上野初花
(くもにまごううえののはつはな)」といって、私は2010年の新橋演舞場で観ている。

「河内山と直侍」という通称もある通り
全体としては河内山宗春(こうちやまそうしゅん)という悪徳茶坊主が
大名をゆする話しと(それと無関係ではないのだが)その仲間の
不良御家人の片岡直次郎の話しが並行して進むもの。
(ご興味があればこちら。

そのうちの、大詰前の直次郎の登場する二幕を抜き出したもの。

初演は江戸ではなく、明治14年(1881年)、東京新富座。

本来、河内山宗春にしても片岡直次郎にしても実在の人物で
文化文政から天保の人。

その後に講談化されて演じられてきたものを、黙阿弥先生が
明治になって芝居にした。

河内山は人気があり、映画やドラマにもなっているので
ご存知の方も多いかもしれない。
私などもNHKで子供の頃「天下堂々」というので視たのを
憶えている。(河内山は高松英郎)

この直次郎の幕だけを上演するときには
「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」という
外題になる。

予備知識はほとんどなくとも話しはわかる。

直次郎はお尋ね者。
江戸を売らなければならないところまで
追い詰められている。

三千歳は吉原の花魁で直次郎の馴染み。

最低これだけ知っていればよい。

幕が開くと、舞台正面に老夫婦の営む蕎麦や。
場所は入谷。

雪が降っている。
当時の入谷は田圃風景。

蕎麦やのお客は岡っ引きらしい二人で
会話から、お尋ね者の直次郎を追っているらしい。
馴染みの花魁、三千歳のことも知っていて、
三千歳は今、ブラブラ病(やまい)で店の寮(別荘)が
このあたりにあるので、出養生にきている。
そんな話をしている。

そこへ直次郎が雪の花道から傘を差して登場。
尻を端折って、素足に足駄。
手拭いをかぶっている。

高飛びをする前に一目三千歳の顔を見ていこう
と考えて忍んできたのである。

直次郎は染五郎。

前回の2010年は、菊五郎。

実はこの芝居、その初演時の直次郎が五代目菊五郎。
それで評判を取り、当たり役となり、そういう意味では
音羽屋(菊五郎家)の芸といってもよい役。

直次郎は岡っ引きが出ていくのをうかがって
蕎麦やへ入る。

天ぷら蕎麦と、燗酒を頼む。

雪の付いた傘を立て掛け、座敷に上がり股に火鉢を抱え込む。

この蕎麦やの風景と蕎麦やでの直次郎の一連の芝居が、
とてもとても粋で鯔背(いなせ)。

これが五代目菊五郎。

寒さと暗さ。
そして渋いアウトローの色男。

尾上菊五郎家、音羽屋は、市川團十郎家と並んで
歌舞伎界では両巨頭であるが、音羽屋の家の芸はこういう
江戸世話物の粋な男ということになっていて、私の2010年に観た
当代菊五郎の直次郎もまさにその真骨頂の芝居であった
のである。

今回は染五郎なのだが、直侍は二回目らしい。

前に私が観た菊五郎と比べれば、もう一つ。
やはり、重みなのであろうか。

菊五郎の芝居は、先に書いた寒さと暗さを感じられたのだが、
どうもこれが足らないように感じた。
まあ、キャリアも違う。あたり前ではあろう。

ただ、染五郎、42歳。この役者はどこを目指すのか。
そんなことも考えてしまう。
舞踊から二枚目、女形もこなす。
とっても真面目な人のように見える。
父の幸四郎あるいは、叔父の吉右衛門のように、
市川宗家の芸も継いでいかねばならぬのか。

美形で花がある。
そのうち、染五郎といえばこれというものが
見えてくるかもしれない。

さて、つづきの次の幕。

ここは三千歳のいる寮。

直次郎が忍んできて、俺は高飛びをする。
じゃあ、連れて逃げて、いやできない。
じゃあ、今ここで私を殺して、、、なんという
濡れ場というのか、三千歳の口説きの場。

清元の「忍逢春雪解」(しのびあうはるのゆきどけ)。

「冴えかえる春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、
上野の鐘の音も氷る、細き流れの幾曲り、末は田川へ入谷村・・・」

と、いうのが、背景に流れている。

黙阿弥らしい見事な五七調。

これは清元の中でも名曲中の名曲といわれているらしい。

この幕、素直な感想を書くと、三千歳も一つ前と同様に
玉三郎先生にやってほしかった。

三千歳は芝雀という役者が演じていて、私自身観ているのかもしれぬが
あまり記憶にはない。しかし、この人も今年、大名跡の雀右衛門を襲名する
立女形。芸としては恥ずかしからぬ大看板なのであろう。
が、玉三郎と比べてしまうと、、、、、という感じが残ってしまった。

 

 

つづく

 

豊斎画 片岡直次郎 五代目尾上菊五郎
明治33年 (1900年) 東京・歌舞伎座






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