断腸亭料理日記2016

團菊祭五月大歌舞伎 その2

引き続き、連休、歌舞伎見物。
團菊祭の二つ目。

「三人吉三」大川端庚申塚の場。

黙阿弥先生作のあまりにも有名な作品の
あまりにも有名な幕。

黙阿弥作品、いや歌舞伎を代表する名台詞が登場する。

なん度か観ているかと思ったら、通しを国立で一度だけであった。

この芝居全体の作品論のようなことも考えてみたので、
かなり身近に感じていたようである。

やはり作品全体を観て知っていれば、この幕だけでよい
というのがある程度理解ができる。
(ただ、通しを観ているかいないかは大きな違いである。
やっぱり、通しを観なければ、納得はできなかろう。)

「三人吉三」全体の主題などとは別に、
ここに登場する、かの名台詞を聞きたいから
観る、という幕であるといってよろしかろう。

「月も朧(おぼろ)に 白魚の

篝(かがり)も霞(かす)む 春の空

冷てえ風も ほろ酔いに

心持ちよく うかうかと

浮かれ烏(からす)の ただ一羽

ねぐらへ帰る 川端で

竿(さお)の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)

思いがけなく 手に入る(いる)百両

(舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!

ほんに今夜は 節分か

西の海より 川の中

落ちた夜鷹は 厄落とし

豆だくさんに 一文の

銭と違って 金包み

こいつぁ春から 縁起がいいわえ」
(ウィキペディアより)

見事な七五調。

節分の夜なので、まだかなり寒いはずだが、ほのかに
暖かさが伝わってくる。

舞台の大川端庚申塚というのは両国あたりと説明されるが
実際にはどこなのかはよくわからない。

大川端は、文字通りだと大川、隅田川の畔(ほとり)
ということになるのだが、通常は隅田川の東岸、つまり
本所、深川(墨田区、江東区)側をいっていた。

中でも、両国橋あたりから、永代橋あたりまで
と理解するのが正しい思っている。

その大川端のどこかの庚申塚の前。

なぜこの幕がよいのか。
観客はこの場でなにを観たいのか、聞きたいのか。

煎じ詰めると、黙阿弥翁が構築した、
江戸の美学ということなのであろう。

現代においては特にであろう。

隅田川東岸、大川端という場所、時期は新春。
新春はむろん旧暦で今の2月。
この時期未明、盛んに行なわれていた白魚漁。
そお白魚漁師のかがり火がかすんで見える夜。

白魚も白魚漁師のかがり火も、大川端すら
今ではすべてなくなってしまった江戸の情景である。

そして、それがのせられる美しい七五調の台詞。
初演時にはあたり前ではあった風景であるが
それを最も美しく表現していた。

この正月観た「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」
直侍の蕎麦やの場
なども同じ黙阿弥作品だが、同様である。

これは江戸郊外、入谷田圃の夜、雪が降っている蕎麦や。

明治に入っての作品だが、ここで黙阿弥は
失われていく江戸の粋、江戸の美学を描きたかった。

実は「三人吉三」は幕末安政の初演時にはたいした評判にもならず、
しばらく演じられずにいた。再演されたのは、明治。
初演から30年あまりたってからという。

江戸の美や粋が失われた、あるいは失われつつあったが故に、
観客にうけたということであったのであるまいか。

今回の配役はお嬢吉三が菊之助、お坊吉三が海老蔵、和尚吉三は松緑。

團菊祭で市川團十郎家と尾上菊五郎家なのだが
若い三人という顔ぶれ。

基本この芝居は型や台詞がしっかりしているので
その通り過不足なく演じるということが必要なのであろう。
(逆いえば、名のある三人がその通り演じらればそれなりに
観られるというものかもしれない。)

「月も朧に・・」の名台詞を発するお嬢吉三の菊之助はもちろん、
海老蔵、松緑とも流石に十二分に演じられていた
のであろう。



つづく





三代目豊国 安政7年(1860年)市村座
お坊吉三 初代河原崎権十郎
お嬢吉三 四代目市川小団次
和尚吉三 三代目岩井粂三




つづく



 

断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |

2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |

2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |

2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |

2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |

2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |

2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |

2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月

2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |

2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |

2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |

2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 |




BACK | NEXT |

(C)DANCHOUTEI 2016