断腸亭料理日記2016

五反田・広東料理・亜細亜

10月21日(金)昼

さて、“町中華?”。

先日、東武浅草駅ガード脇の[ぼたん]を書いた。

“町中華”の元ネタは雑誌ブルータスでさらにその前は
「町中華探検隊」なる集団。

私自身はこの“町中華”なるコンセプトはまだ
腑に落ちていないのである。

そもそも、昔からある町の中華料理やでよいのか?。

ここ10年、あるいはもっと、15年、20年くらいであろうか。
おそらくかの国の経済発展とともに我が国に出稼ぎにきた
中国人が開いた中国料理店が(地方のことはわからないが。)
東京ではかなり増えた。
ネイティブな味、かどうかはわからぬが、少なくとも私が
子供の頃から街にあった中華料理やとは人も違うが、
明らかに味が違う。

それで、定義をするとすれば、例えば昭和30年代、40年代
までに店を開いた中華料理店、としてみようか。
40年代までとしたのは、その後のラーメンブームを念頭に
ラーメンのみを扱う店が現れる以前という意味である。

まあ、東京のどこの町内にも、あるいはどこの駅前にも
1軒や2軒は必ずあった。

では、これがいつからか。
おそらく東京だと、明治までさかのぼると思われる。
経営はかの国から来日した人もいれば、戦後すぐ満州などから
引き揚げてきた人々が開いたもの、あるいは既にある中華料理やで
修行した人など、素性は様々であったのであろう。

池波先生の中華料理好きは有名である。
神保町[揚子江菜館]、日比谷[慶楽]、銀座[アスター]などなど。

“町中華”に新橋のビーフンの店[東]、あるいは神保町の
[揚子江菜館]などが入っている。これらは池波先生御用達の
池波レシピでもある。

このあたりとどう考えればよいのか。
新橋のビーフン[東]は池波レシピであるが、そこまで
有名ではないかもしれぬ。
“町中華”は有名店かそうでないのか、で定義できるのかと
思うと、、神保町[揚子江菜館]も入っている。
微妙かもしれぬが[揚子江菜館]はそこそこ名は知られている
といってよいのではなかろうか。

さらにまた新宿の[隨園別館]が入っている。
これを“町中華”に入れるのは随分と無理がある。
有名で、もはや老舗といってもよいくらいで行かれた方も
多いと思うのだが、明らかにネイティブの味に近かろう。

そんなわけでこれらの媒体に載っている店は
今一つ、定義があまい。
まあ、いっか、てなものか。

勝手に私が“町中華”を定義すると、昭和40年代あたりまでに
開店している、日本人の舌に合わせてアレンジされた、
中華料理店の内、どちらかといえば無名な町の中華料理や、
こんな感じでいかがであろうか。
おそらく“探検隊”の方々の本来の意図はこれなのであろう。
そして、その動機は、やはり以前はあれほどあったのに、
少しずつだが、確実に減っているということ。

さて、といったわけで、今日はオフィスのある五反田。
なん回か書いている、洋食やの[グリルエフ]のそば。
東口の駅前の[亜細亜]という店。

間口一間半か二間の小さな店なのだが、東口の正面で
それこそ山手線のホームからも見える。
前から気になっていたのである。

漢字で[亜細亜]なんという名前でちょっと小洒落た
エスニックいろいろ、みたいな店かと思っていたのだが、
これぞ町中華であった。
広東料理というのがショルダーについていた。

お昼、外出から戻ってきて、入ってみた。
看板はシウマイというのが事前情報。

それでたまに無性に食べたくなるチャーハンとシウマイ一人前。

先にきたチャーハン。
これはかなりオーソドックス。
まさに町中華の懐かしい味。
これは、ラードの味なのかも。

パラパラチャーハンなどというのがいわれるようになって久しいが
本当にそれがうまいのか、という気がしてくる。
パラパラよりは、ちょっとベトッで、重めで香ばしい。
これが正しいチャーハンの味だったのではなかろうか。

ただ、スープはしょうゆ味ではなく、澄んだ薄味のもの。

シウマイ。

これはどうであろうか。
大ぶりなのはよいのだが、賛否両論というのか、私の好みではない。
むろん、まずくはないのだが。
なにかというと、まず白っぽい。
これは脂、なのか、他のものなのか、わからぬが、
どういえばいいのか、もっと肉々しいタイプの方が
好み、で、ある。

そして、近所なので、またきてしまった。10/25昼。

“町中華”で私の好きな、麻婆丼。

これは、おもしろい。
確かに、麻婆は広東料理ではない。
“町中華”にもともとあったメニューでもない。

だからか、筍やら、大きめに切った玉ねぎやらにんじん、
きくらげやらが入っている。
中華丼(五目うま煮かけご飯?)に豆板醤で味をつけて、
豆腐を入れたといった感じであろうか。

これはこれでまとまった味ではあるが。

駅前という好立地もあろうし、昼はお客が切れない。
日替わりのランチもある。

「創業68年目」で二代目と三代目が作っているとのこと。
戦後すぐの開店ということか。
まさに正しい東京の“町中華”であろう。
ただ、やはり“町中華”は微妙にずれている、ところがある。
70年もやっていてどれも非の打ちどころがなくうまいものを出す、
のであれば、もっと有名になっていてしかるべきなのである。

[亜細亜]で見つけたのは、チャーハンで、あったが、
やはり“町中華”ではその店で好みのものを見つけて
食べにくる、そんな感じであろうか。

ただやっぱり東京から“町中華”がなくなってしまうのは
東京人としては、困る。紛れもない昔からの東京の味である。
是非、がんばっていただきたいと切に願う。


 


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品川区東五反田1-13-9


 



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