断腸亭料理日記2016

中村芝翫襲名披露・十月大歌舞伎 その2

さて、引き続き、八代目芝翫襲名披露。
夜の部、一幕目の「外郎売(ういろううり)」。

この芝居はいわゆる曽我もの、という設定に
なっている。

江戸期正月の芝居は曽我兄弟の仇討と、
なぜか決まっていた。

むろんのこと毎年毎年、正月はくる。
この度に同じ芝居をするわけにはいかないので
曽我兄弟の仇討話を下敷きに、実に様々な
芝居が作られたわけである。

ちょっと余談めくが、現代において、
曽我兄弟の仇討というのを知っている人は、
まず歌舞伎通(つう)くらいでほぼいなかろう。

戦前生まれの私の親の世代は知っていたので
この頃は、歌舞伎好きに限らず、ほぼ常識として
まだ皆知っていた。

曽我兄弟の仇討というのは史実。
時代は鎌倉時代初期。

日本三大仇討の一つといわれていたくらいで
一般に知られていたのは当然であったろう。

しかし、池波先生なども書かれていたと思うが、
曽我兄弟の仇討に限らずそもそも今、
どうであろうか、戦国時代より前というのは、
大衆の間でほぼ忘れられつつある。

私などの子供の頃であれば、源平の戦い、
義経、弁慶なんというのは、まだ皆知っていたのだが
昭和50年代あたり以降であろうか、どんどんと
忘れられていった。

NHKの大河でも、源平やら戦国より前のものは視聴率は
今一つであったと思われる。

清盛や頼朝、あるいは元寇の頃の北条時宗、
なんといっても、もはや忘却の彼方。

一方で、歴史自体は今、むしろ人気がある。
ただ、戦国や幕末に限られる。

やはり昔は、室町、鎌倉については、
歌舞伎などの芝居などによってあまねく人々に
浸透していた。
急速な、戦後の芝居離れ、ということなのであろう。
(あるいは、戦前の教育では楠木正成など
鎌倉幕府を滅ぼして後醍醐帝の建武の新政に
尽力した勤皇の英雄として教育されていた、なんという
背景もあると思われる。)

「外郎売」であった。

曽我ものの設定はともかく、この芝居は、
先に書いた「外郎売」の長い長い早口言葉のような
口上に尽きる。

ちょっと書き出してみよう。

『拙者、親方と申すは、お立合いの中にご存知の方もご座りましょうが

お江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をおすぎなされて

青物町を上りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門(らんかんばし

とらやとうえもん)、只今は剃髪いたして、円斉と名乗りまする、、、

(冒頭のこの部分は、今でも私はそらで言える。)

中略

、、、武具馬具ぶぐばぐ、三ぶぐばぐ、合わせて武具馬具、六武具馬具。

菊栗きくくり、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦、塵(ごみ)、

むぎごみ、三むぎごみ、合わせてむぎごみ、六むぎごみ。

あの長押(なげし)の長薙刀は誰が長押の長薙刀ぞ。

向こうの胡麻がらは荏のごまがらか真ごまがらか、

あれこそほんの真胡麻殻(まごまがら)。、、、後省略』

このあたりなど、早口言葉そのものである。
むろん、もっともっと長い。

さて。
なんで、こんな早口言葉のような物売りの口上が
芝居になっているのか。それも歌舞伎十八番という
歌舞伎上の主要な演目として。不思議ではないか。

これは歌舞伎芝居の、いや、歌舞伎に留まらない、
講談、落語などの話芸も含めて、日本の関連する
言葉を発する伝統芸能の一つの特徴、スタイル
であると思われる。

一般に、歌舞伎でも落語でもこういった
言葉を延々と連ねる台詞のことを“言い立て”
という。

私のホームグラウンドの落語でも
言い立ての例は数多い。

どなたもご存知なのは長い名前の「寿限無」であろう。

「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の

水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ

・・・」

「大工調べ」の棟梁の啖呵。

「なにぅぉ〜、あったりめいじゃねえか、

目も鼻も口もねえ、血も涙もねえ、

のっぺらぼうみてえな野郎だから丸太んぼう

つったんだ。ホウスケ、トウジュウロウ、チンケイトウ

蕪っかじり、芋っぽりめ。てめえっちみてえな野郎になぁ

頭ぁ下げるようなお兄いさんとはなぁ、ちぃ〜っとばかり

違うんでぇぃ。なにぬかしやがんで。・・・」

「金明竹」の上方弁の道具屋の台詞。

「わてなぁ、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。

へぇ、先途仲買の弥市が取り次ぎました道具七品の内、

祐乗、光乗、宗乗、三作の三所物、並びに備前長船の

則光、四分一こしらえ、小柄付きの脇差、柄前なぁ、

旦那はんが古タガヤいいはってやって、ありゃ、埋もれ木

じゃそうで、木ぃが違ぅとりますさかいなぁ、

念のためチョトお断り申します。・・・」

この三つ、ちなみに私は憶えたので喋ることができる。
もちろん、言い立ては落語にはもっともっとある。

どれも基本早口で、聞いてる方には、
理解できるかできないかの、スレスレくらいのもの。

講談などでいえば、いわゆる“修羅場”というが
戦いの場面などをパンパンと張扇(はりせん)を
叩きながら演る、あれがそれにあたるか。

「頃は、元亀三年壬申年(みずのえさるどし)十月十四日

武田大僧正信玄。(パンパンパパンパン・張扇の音)

七重のならしを整え・・・」

これは徳川家康が武田信玄に敗退した三方ケ原の戦いを
扱った「三方ケ原軍記」の冒頭部分。

講談では、こういう修羅場という、スタイル化、
様式化された話芸になっているといってよろしかろう。




つづく






九代目市川團十郎の虎屋東吉(鳥居忠清画)
ウィキペディアより



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