断腸亭料理日記2017

浅草・弁天山美家古寿司 その1

2月1日(水)夜

例によって、19時すぎ着のスペーシアで
栃木から浅草に戻ってきた。

なにを食べようか。

久しぶりに[弁天山美家古]に行こうか。

むろん鮨、で、ある。

慶応2年創業。
東京でも数少ない、江戸時代創業の鮨や、で、ある。

念のため、ホームからTELをしてこれから入れるか聞く。
OKとのこと。

東武の浅草駅北口から出て左、馬道を渡り左側。

地図を出そう。

現代


弁天山美家古の弁天山というのは浅草寺境内の南西の
すみっこにあるちょっと小高い山。
今、小さいがちょっと小高い丘があって、その上に
弁天様のお堂がある。

江戸の地図。

ここには銭瓶(ぜにがめ)弁天とある。
むろん伝説であろうがこの弁天堂の脇から銭が
湧き出していたという。

また、この弁天山には浅草の「時の鐘」があった。

(こんな写真があった。)

この「時の鐘」は今もあって、朝晩の6時に撞(つ)かれている。
昔風にいえば、明け六つ、暮れ六つということになる。
静かな早朝6時は聞こえるが、夜の鐘はあまり意識したことがない。
おそらく喧噪で耳に入らないのであろう。

ついでに、明治の地図も。(明治40年)

吾妻橋西詰、東武浅草駅、神谷バーのある交差点。
五叉路(ごさろ)になっているが、ここから弁天山方向の
通りは、馬道(うまみち)通りと地元では呼んでいる。

馬道通りは今は吾妻橋西詰に直につながっているが
江戸の頃も明治の頃もそうではない。

東武の浅草駅(当時は浅草雷門駅)ができているのは昭和6年。

それよりも前の昭和2年に地下鉄の浅草駅が開業している。
東武よりも地下鉄の方が先にできていた、というのも
おもしろい。

東武浅草駅と一体のステーションビルである松屋は
この昭和6年当時にできたもののようである。
スカイツリーの開業に合わせて、今はこの当時の
外観を復元して、昭和初期のモダンなデザインを見せている。

ということは、馬道通りが今のように真っすぐに吾妻橋西詰の
交差点につながったのはこの時なのではなかろうか。

ともあれ、[弁天山美家古]であった。

自動ドアを入って、電話した者であることを告げる。

カウンターの向こうには若親方。

こちらへ、というので若親方の前に座る。

カウンターの手前には私よりは少し若そうな
夫婦の先客。
他には奥のテーブルに4人。

夫婦の客の前は親方の立ち位置だが、
親方はまだ登場していない。

お酒をお燗でもらう。

注文は、つまみ二品のついた「寿」のおまかせコースにした。

お酒。

大関、で、ある。

お通はまぐろであろうか。
甘辛に味濃く煮たもの。

親方も登場。

先付けが出る。


若親方が説明ししてくれる。

左上から、平目の肝、その下が同じく平目の玉子、
右下赤貝の肝、右上平目の煮凝(こご)り。

肝は蒸しているというが、驚いた、ちょうどあん肝のよう。
この季節だけというが、まったくそっくりである。

煮凝りもまた、おもしろい。
皮が主体という。
固めるための(ゼラチンなど)ものはまったく
入れていないという。
脂がのっているので冷やせば固まるとのこと。
口に入れると、あっという間に溶け、旨みも濃厚、

なかなかなもの、で、ある。

つまみ一品目。

ここでいつも出るが、まぐろと海苔の佃煮。
わさびがポイント。
佃煮は、濃厚な甘辛ではないが、
生わさびが、アクセントになり、酒がすすむこと
夥(おびただ)しい。

ぬた。

添えられている練りからしも和えてつまむ。

赤貝のひもにわかめ、ねぎ。

ねぎがかなり小さめに切られている。
以前に食べた時には一般的な大きさであったと
思うのだが、これはよいかもしれぬ。
邪魔ということもないが、ねぎが小さいと
香りは残るが随分と上品な仕上がりになる。
考えられたものである。



つづく




弁天山美家古寿司







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