断腸亭料理日記2017

五反田・讃岐うどん・おにやんま

1月25日(水)朝

たまにはここも書いておかねば。

五反田駅ガード脇の路麺(?)さぬきうどんの
[おにやんま]。

今朝、寄ってみた。
そう頻繁ではないが、相変わらず食べている。

さて。

先日、五反田駅東口駅前のことを書いた。

今日は、この[おにやんま]の前の通りのこと。
これもちょっと書いてみよう。

またまた、同じ地図。

現代。


江戸。


昭和初期。


昭和初期の地図までみて、あらためてわかったことがあった。

この五反田駅大崎寄りガードの通り、すなわち[おにやんま]の
前の道というのはかなり古い道のようなのである。

江戸の地図のマークを入れているが、
目黒川にかかる大崎橋があって、T字路になり右側が
カーブして北へ上がり、雉子宮へ向かっている。

また下は大崎橋からはずっと南下している。

この今の五反田駅付近の江戸の地図は曲がり方などがは、
いい加減であると思われるが、昭和初期をみると、
おそらくこれがもともとのものに近いのではないかと思われる。

この通りは今は桜田通りになっているが、出発地点は虎の門。

五反田駅で桜田通りは直進し、この通りは別れ、桜田通りは
第二京浜となる。
荏原で今度は第二京浜と東西入れ代わる。

そして、洗足池、石川台、雪谷、丸子橋で多摩川を渡る。
下丸子、中原。

そうこれ、中原街道である。
これが古道であったのである。

中原街道というのは、このあたりの方であれば先刻ご承知
なのであろう。

この東京城南地区、品川区、大田区は、前に書いている通り、
私の父祖の地であるが、育ったのが西武線沿線であったため、
ほとんど土地勘はないし、地域史教育なども受けていないので
正直知らない道であった。

中原街道は、江戸が開府され、東海道が整備されるが、それまでの
東海道にあたる主要道であったという。

起源は戦国のころ、関東の覇者小田原の北条氏が整備をしたらしい。

相模から江戸に入るにはこの道が本道で、家康なども利用し、
休息のためであろう、中原には将軍用の御殿が建てられていたという。

海沿いに東海道が整備されても、この中原街道は脇街道として
交通量の多い東海道を避けた、物資の輸送、人々の交通に
重要な役割を果たしていたという。

雉子宮、池田山から坂を降りてきて左にカーブし
今の五反田駅前にあたるところで、島津山からの道とぶつかり、
右に曲がって、大崎橋で目黒川を渡る。
この道のカーブのしかたはいかにも古道という趣、ではないか。
今のこのあたりからはとても想像がしずらいのだが、
このギャップが逆におもしろい。

とにもかくにも、五反田駅ガード脇、
中原街道前の[おにやんま]。

朝、8時すぎ。
もう既に、にぎわっている。

店員はこの時刻一人。

温かい鶏天の食券を買ってカウンターに立つ。

ほぼ満員。

一人ではてん手古舞。

と、見ていると、天井から梯子が降りてきて、
屋根裏でうどんを打っていた人か、調理の作業に加わる。

できた。


温かい鶏天うどん。


角が立った、つるつるしこしこの腰のある讃岐うどん。

舌がやけどするほどに揚げたての、鶏天。

極寒の朝にはなにより、で、ある。

お客は皆、男性。無言ですする。

ふう。

うまかった。

温まった。

ご馳走様でした。


さて、会社行かねば。




おにやんま
品川区西五反田1-6-3






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