断腸亭料理日記2018

鴻上尚史著「不死身の特攻兵 軍神はなぜ
上官に反抗したか」その3



もう少し、鴻上尚史著「不死身の特攻兵 
軍神はなぜ上官に反抗したか」。
(講談社現代新書)

なぜ、崖っぷちになると思考をやめて特攻などという
愚策を受け入れてしまうメンタルに日本人はなったのか、
ということである。

それは運命共同体である「世間」が大切だから。
所与のものとして「世間」を黙って受け入れることを
著者は、農耕で結びついた地縁社会に求めている。

そしてさらにこのメンタルが“日本だけのもの”とし、
その理由は他民族に征服されたことがないからという。

また「世間」というものを所与で不変のものとして
受け入れてしまうメンタルになった理由を、地震や風水害などの
天災が多い不可避な自然環境のもとに暮らしてきたからから。
あまりにも天災が多いので一神教にはならずに八百万
(やおよろず)の神を敬うメンタルになった、と。

鴻上先生の説はこんなこところであろうか。

まあ、これ、そうとうに難しいのである。

日本人のメンタル文化などがそう簡単に結論が出るわけがない。
これだけで論文が2〜3本書けてしまうであろう。

最初に書いてしまうが、今回結論はない。
いや、わからない、が今の私の結論。

だが、とてもおもしろい。
考えてみる甲斐がある議論である。

そもそも、この民族のメンタル文化そのものを、こうである、
と決めてしまうのも、十分に注意しなければいけない。
どこの国でも、民族でも人それぞれ、もちろん個人差がある。
大きく平均値をとればこのあたりかな、ということだと
思わねばならない。おもしろい議論なのだが、大いに注意が
必要であるということである。

それでは、まず、簡単なところから片付けよう。

“日本だけのこと”で、ある。

「世間」を大事にする、あるいは思考をストップする、は、
前回書いたように、韓国などは今の日本以上に
この傾向は強いのではないか、ということ。

まあ、書いたように別段私は、韓国文化の専門家
でもなんでもない。どこが同じなのか、違うところがあるのか、
などなど詳細な検討を加えなければいけなかろう。

よって、断定的なことはもちろんいえない。
もしかしたら、韓国以外にも似たようなメンタルを
持っている民族はあるかもしれぬ。

ただ少なくとも日本だけのものではないということは
言い切ってもよいのではなかろうか。

そして、次。
稲作農耕社会に起源を求める論である。

これはアカデミアでもよくいわれる説であると思われる。

例えば、水利、で、ある。
同じ水を利用して稲作をしていると
互いに譲り合わなければ皆が食べる分の稲は育たない。
水利以外でも豊かではないムラでは互助をしていかなければ
暮らしてはいけない。

また私の学んだ日本民俗学では稲作を日本人の中心的な生業
に位置付け、稲作を中心に年中行事があり、神々などの精神生活も
稲作を軸に展開されていると説明している。
農業、特に稲作が日本人のメンタルを形作ってきたと
考えることに合理性はあろう。

稲を育て、収穫するために多くのムラでムラのルールがあり、
それを守ることが義務付けられ、守らなければ
皆様ご存知の村八分ということがあった、ということになる
わけである。

ただ、こういうルールがいつ頃できてきたのか、
という歴史的時間軸を取り入れてみると、どうであろうか。

例えば、この村八分という言葉はいつ頃からあったのか。

稲作が始まった弥生時代からあったのか、古代、大和王権の頃
なのか、奈良時代か、はたまた平安期、
鎌倉・室町の中世期、近世江戸なのか。

我国の稲作の歴史は弥生時代とすると紀元前10世紀からあり、
通史的に吟味する必要があろう。

また、時間軸だけでなく、地域という空間軸も
考えなければいけない。

日本列島は東西南北に長く、気候条件も違うのである。

稲作だけ考えてみても大きな差がある。
温暖な気候の西南日本と冷涼、寒冷な東北日本である。

江戸期だけみても、関東を含めて東北日本は寒冷な気候で
飢饉が度重なっている。
江戸期、収穫量とすれば平和な時代が続いたこともあり、
西南日本は大幅に伸びたのに対して、東北日本は飢饉のお陰で
伸び悩んだ。つまり、西日本は豊かになっていったが、
東北日本は苦しかった。

気候によるものなので、それ以前の時代でもおそらく
この傾向は違わなかろう。
こういう豊かさ、ゆとりの違いは双方の社会に及ぼす
影響、違いというものは大きかったはずである。

また江戸期などはよくわかっていると思うのだが、
領主の治め方の違いというものもある。

関東地方、関八州などというが、特に北関東などの
周辺部はかなり農村として荒れていたと考えてよいようである。
関東地方は譜代大名や幕府旗本の領地として細かく分けられて
おり、直接的には代官はなどが年貢の収集を受け持っていた。
これはある意味、無法地帯。(ばくち打ちの国定忠治、大前田英五郎、、
などが活躍したのも北関東である。木枯し紋次郎もそうか。)
これに加えた冷害、浅間山の噴火などの自然災害で、
土地から逃げ出す農民も少なくなかった。
例えば、ここに登場したのが、かの二宮尊徳。
彼は今でいう農業のコンサルタントのようなことを
領主に依頼され、北関東の荒廃して収穫が減り、
やる気もなくした農民の土地に赴き、農民達にやる気を出させ
農作業の改革を行い、元気な村に導いた。

これを逆にみると、皆がルールを守る優等生であったのか、
といえば、様々な理由はあったにしても、
そんなところばかりでは必ずしもなかったわけである。

もちろん、逆に、よい領主に恵まれてモチベーションの
高い地域もあったわけである。例えば、上杉鷹山の米沢藩
などは、東北にあって好例なのではなかろうか。

こんな風に地域、歴史も踏まえて慎重に論を進めなくては
いけないと思うのである。

 

もう一回、つづく、、

 

 

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